以前、大阪湾でウミガメの産卵があったとの朝日新聞の記事を見て驚いた。7月14日付で以下のことが報じられていた。
「大阪府泉南市の海水浴場「タルイサザンビーチ」の砂浜で7月12日夜、ウミガメが産卵しているのが確認された。府と市は産卵場所をフェンスで囲い、卵が孵化(ふか)するとみられる9月10日ごろまで定期的に巡回して保護する。
市によると、海水浴場の警備員が12日午後8時すぎ、砂浜で動く体長約1メートルのウミガメを見つけた。しばらく行き来した後、コンクリート護岸のそばで9時ごろから約1時間かけて産卵。卵に砂をかけ、11時ごろ海に戻った。
同ビーチは関西空港の開港に伴い整備されたりんくうタウン内の人工砂浜。ウミガメの産卵が確認されたのは、1995年と99年に続き3回目という。神戸市立須磨海浜水族園の松沢慶将主任研究員によると、足跡の形などからアカウミガメとみられる。近畿では淡路島や明石海岸で産卵が確認されているという。」ということである。大阪湾が何時の間にか、そのような環境に変化していたとは・・・。
そんな折、「大阪湾の生き物と環境」展が天満橋の「川の駅はちけんや」で催されていることを知り出掛ける。大阪市中央区北浜東の大川畔にこのような施設が設けられているとは、知らなかったが、残暑厳しきなかでも川風に吹かれるのも一興で涼しさを味わうことができた。
『日本書紀』によれば、神武東征の折の話として「皇軍の船団が難波碕(なにわのみさき)に着かれたころ、急潮の非常に速いのに出会った。そこでそこを名づけて浪速国(なにはやのくに)といい、また浪花(なみはな)ともいう。いま、難波(なにわ)というのはそれを訛(よこなま)っているのである[訛、これを与許奈麿蘆(よこなまる)という]」というとある。このあと、生駒嶺を越えて、一気に大和に入ろうとしたが、長髄彦(ながすねひこ)に抵抗され兄の五瀬命を失う。日に逆らったことを悔いて熊野から吉野を経て、大和への道を取らざるを得なかった。五瀬命が傷の血を洗い流したことから血沼と名づけられた。『古事記』では「血沼」と表記されているが『日本書紀』では「茅淳」と書かれていて、茅淳海とは和泉(いずみ)と淡路の間の海の古称で大阪湾一帯の海で現在の大阪湾の東部、堺市から岸和田市を経て泉南郡に至る一帯を指す。また茅淳(ちぬ)はチヌダイすなわち、クロダイのことをいい、大阪湾が古来よりその宝庫と言われている。それは、かって浪速や浪花の古称があったように、大阪湾が魚介類の豊富な海であることから「魚(な)の庭」が転じて、「魚庭(なにわ)」を使った説もあるようでまさに豊饒の海だったのである。
会場で目についたのは、生き物から見た大阪湾のテーマで、数十センチ先も見えないくらい濁った海やゴミのなかで棲む魚をダイバーが撮った写真をみて、ウミガメが産卵しにきて大丈夫かとの疑念がわいたのでスタッフに問えば、多分、大丈夫だろうという応えが返ってきたので頼もしくなる。―打ち寄せる波の音、潮風に吹かれる海岸林の葉の音、そして、すこし強い風が吹くと肌にあたる砂・・・。昼は十分すぎる太陽の光、夜には十分すぎる闇と静寂、その中には驚く程、多様な生物達が暮らしている。またそこには謙虚に遊ぶ人々がいる。夜はウミガメも何気なく卵を産んでいく。私たちはそんな浜辺を残し取り戻すために環境保全活動を行っている― 日本ウミガメ協会の熱意に期待したい。再び、豊饒の海が戻ることと、ウミガメの卵が孵り子ガメが生まれ、また回遊して大阪湾に帰ってくることを祈念しつつ、会場を後にする。
―今日のわが愛誦短歌
・唇をよせて言葉を放てども
わたしとあなたはわたしとあなた 阿木津英
―今日のわが駄句
・草の花大阪湾の波白く


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