稲葉山の頂上に岐阜城を仰ぎ見、ふと足下に眼をやれば昨夜鵜飼を見物した長良川が流れている。
その向こうに、織田信長が天下布武を目途にして、楽市楽座を開いた岐阜の街が望まれる。爽やかな目覚めである。その岐阜城をこれより目差そうとしている。
その城を掌中に収め、美濃一国を手にしたのが斉藤道三である。司馬遼太郎は
『国盗り物語』で、極悪人のレッテルを貼られたこの人物を明るく取り扱っている。利権や過去のしがらみにがんじがらめに縛られ身動きが取れなくなっていた中世的な体制をぶち壊して、新しい社会、体制を作りだそうとしたのが斉藤道三であった。彼が「蝮(まむし)」の道三と悪人呼ばわりされていた時に、部下に
「そうみえるなら、不徳のいたりだ。人間、善人とか悪人とかいわれるような奴におれはなりたくない。善悪を超越したもう一段上の自然法爾(じぜんほうに)のなかにおれの精神は住んでおるつもりだ。」と、悪人は悪人でも、善悪を超越した一種の天才的革命家であったことを述べている。329メートルある金華山をロープウエイで、残りの胸突き八丁を徒歩で登攀するのは年寄りには苛酷である。天下を布武するにはこれ位のことであごを出すべきではないと自分に言い聞かせ、士気を鼓舞して天守閣に着く。信長も眼下にした風光である。しかし、下山するときは夏しぐれに濡れた石段は流石にきつく、さりげなく介添してくれる人があり、感謝しつつ金華山城を後にした。
・きょうの駄作詠草
前うしろ右にひだりにこの城を落すというは夏の風吹く

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