八月も残る日が少なくなり、朝夕は日を追うに従い凌ぎやすくなって来た。「追々に花小さくて朝顔はもてる生命(いのち)を咲きつくしたり」と、散歩道に咲く朝顔の様子にも季節の移り変わりを見ることができる。志賀直哉に
『朝顔』という短編がある。「私は十数年前から毎年朝顔を植えている。それは花を見るためよりも葉が毒虫に刺された時の薬になるので、絶やさないようにしている。蚊や蟆子(ぶよ)は素より蜈蚣(むかで)でも蜂でも非常によく利く。葉を三四枚、両の掌で暫く揉んでいると、ねっとりした汁が出て来る。それを葉と一緒に刺された箇所に擦りつけると、痛みでも痒みでも直ぐ止まり、あと、そこから何時までも汁が出たりするような事がない。」と、記した一節がある。横でごみの整理をしている女性が虫に刺されて困ると、そこに咲いていた朝顔の終末を見て引き抜いて始末しようとしているのを見たので、ふと志賀直哉の一文を思い出して、教えたら何と、手、足、胸、頸の其処此処が掻き毟ったのか赤くなっていた。相手が女性でなければそこにある朝顔の葉を千切って、志賀直哉曰くの手法で塗って差し上げようするのだが、妙齢のご婦人なので手出しすることが出来なかった。
静かに去って行く夏を惜しんでいるところである。
・きょうのわが駄作詠草
夏過ぎてまた秋となる繰り返し赤き花散り白き花咲く

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