朝早く目が覚めた。尿意を催したので冷え込みが原因であるのだろう。秋冷とまでは行かないが、確実に秋めいていた。帰省中の孫が朝からラーメンを所望するので、ラーメン好きの友人にご足労願うことに連絡を取る。孫は豚骨ラーメンが目当てらしい。行列のできるラーメン屋があるということでいそいそと出かけて行った。高がラーメンごときにと思っていたが、時間がかかり過ぎるので待ちくたびれてしまった。感想では、友人は行列してまでと、首を傾げていたが、孫はかなり気に入ったらしい。やはりラーメン文化に関して老若の味覚の差があるのだろう。その昔、中国人のラーメン屋(まだ支那そばという呼称があった)と昵懇であった。妻は日本婦人の鑑のような女性で、紹介してくれた人は、元憲兵でスナックのマスターをしていたが、店の隅に九州帝国大学の学位証明を示す卒業証書が無造作に貼られていた。元憲兵の成れの果てとは言え余人にない風格を具えて、その筋の連中の出入りがあったが、戦後の民主化で、世が代ならばとの阿りは微塵にも見せることがなかった。そのラーメン屋のオヤジのラーメンに対する拘りは相当なもので、豚骨を三日三晩かけて煮て溶かし、1・8リットル瓶に入った醬油を5本1本ずつ180ミリのビールグラスに9杯ずつ注ぎ込んで行く方法で残った1杯は瓶に留め置く。それを5本の瓶も同じように行っていくのだ。見ていて、5本のうちの1本から5杯取り、残った4本半を一気に鍋に注げばと言えば烈火のごとく「黙っとれ!」という怒号が飛んで来ると教えてくれたのは、奥さんの奥床しさの然らしめるところである。そして、そのあと、瀬戸内海坂出の塩でなければ駄目と、うそぶきながら塩をぱらぱら振りかけて煮込むのがわが秘伝なりと豪語してこのスープを飲むと中毒になるという。嗚呼、このラーメン作りの硬骨漢が今在りせばと、哀しくなってくる。日本婦人の鑑であった奥さんが卒然と逝き、通天閣の真下にあったその店も閉じられ、そのオヤジの行方は杳として分からなくなってしまった。こんなラーメン屋もあったのだと、飲めば中毒になる豚骨ラーメン屋の面影を偲んでいる。
・きょうのわが駄作詠草
ラーメンは噛まずに啜れただただに物を言わずに啜り飲むこと

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