蒸し暑く、無風。じっとしていても汗が滲みでてくる。残暑がまだ残る。7、8月はその猛暑に耐えられず参加を自重したのだが、石川啄木が詠んだ、
「地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつつ秋風を聴く」という啄木なりの暗い予感で秋風を感じていたのだが、日本はその後、無為な戦争で敗戦を味わった。あのとき「植民地支配」や「侵略」のことを有耶無耶にしたままあの暑い夏が終ってしまったと思っている人が沢山あるのだろうと、そんな思いのなか、月末の月曜日にある「日本橋安全まちづくりキャンペーン」のパレードに参加して来た。
戦争が終って間もない残暑の厳しい日本橋商店街を想起して歩く。マッカーサーから敗戦後の日本を第四等国と揶揄され、再び世界的強国として登場することは不可能であると言われたまちには、商店街という美名はなく、戦後復興の明朗化と称して、「ダンサー、芸者淑女接客係、通訳(英語会話の出来る人)、楽士、コック、バーテン、ボーイ、エレベーター係」の緊急募集が大きく貼りだされていた。「まちをきれいにしよう」「不当な客引き行為はやめよう」「はみ出し陳列はやめよう」「安全できれいな日本橋をつくろう」・・・と順次述べられる掛け声に唱和して行進して行くのだが、終戦当時のまちの光景を知っている者には、どこで手に入れたのか不法なヤミ物資、盗難品の売買、街頭での賭け将棋、引ったくり、スリ、街娼の横行等々があるなかを「こちらは日本橋安全まちづくり」と称する寝言じみた文言を言いながら歩いてみたらどのような反響が伝わってくるのやらとの感慨になる。そんな食わんがために日々、人々が齷齪していた時代があったのだ。
・きょうのわが駄作詠草
水そしてお茶がペットに詰められて売られる世なり戦後はるけし

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