きょうも昨日に似た空模様である。しぐれが時たまやって来て衣服を濡らして行く。用事で訪れて来た二人に日曜の昨日はどこに出掛けたのかと訊ねたら、嵐山に紅葉を観に行ったとのこと。二人とも電車で行ったとか。僭越なことだが、
「朝まだき嵐の山のさむければ紅葉のにしききぬ人ぞなき」という
『拾遺和歌集』にある藤原公任(ふじわらきんとう966−1041)の和歌をご存知かと訊ねると怪訝な顔をされた。嵐山は、保津川をへだてて相対峙する小倉山とともに、当時から最も有名な紅葉の名所の一つで現在も人出が堪えないところで、シーズンには車で行くべきところではないと言われている。
自分も昨日の明日香から談山神社への紅葉狩りのことを話したら、春の花見、秋の紅葉狩りには車で行くより電車に限るということになった。それにしても、久し振りに浩然の気を養うことが出来たのか、秋の山を彩る千葉を観た感銘が残っている。
わが国最古の漢詩集
『懐風藻』で、英明な皇子と言われた大津皇子(663−686)は
「七言。志(こころざし)を述べる」とする詩を残している。
「天紙風筆雲鶴を画き 山機霜杼葉(さんきそうちょよう)錦を織る」
「天を紙、風を筆として雲間の鶴を描き、山を織機、霜を杼(ひ=経糸〈たていと〉に緯糸〈よこいと〉を通す道具)として紅葉の錦を織る」と、言う気宇壮大な詩である。父の天武天皇の死の直後、異母妹の持統天皇に疎んじられたのもこの気宇壮大な性格の持主なるが故であったのだろう。謀反の嫌疑がかけられて死を賜わり若い生涯を閉じるのである。昨日、紅葉の葉に包まれた「柿の葉すし」を求めることが出来なかった腹癒せに、大津皇子が眠る二上山麓にある道の駅「かつらぎ」で購ったものを食しながら偲んでいるところである。
・きょうのわが駄作詠草
歩く道に公孫樹散るなりもの憂さよ踏めば哀しと秋の黄昏

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