昵懇にしている知人の訃報が二件入っている。吉川英治によれば、
「このお盆に生きている全部の人間は、単に今年度の生き残り分にすぎない。」という名言がある。思わざる人の死を知っても先生の格言に接すれば、肝が据わってくる思いになる。死は突然やってくる。それがいかに不条理のように思えても受け入れねばならないとは辛いことである。今回の二件はまさにそれであった。さすれば、老衰で床につき手厚い看護を受け、天寿を全うしようとしている義母は幸せであるといえよう。
午後、とある商店街の月例の理事会があった。この街の一ヶ月の動きを順次報告されて行くのを聞きながら、生き残った人生の重みを実感している。相変わらずアーケードに取り付けてある防犯カメラの映像を見せて欲しいという警察当局の要望が7件もあったという。凶悪な街の様子を窺うことができる。一方では、アーケードの維持に電灯の明暗と故障による停電を早急に改善せよとの要求に見積書の検討がなされた。ところがアーケード維持費未払いの店舗の電灯を強制的に止めるという案件が出された。それをすれば未払い店舗が歴然と判明され、未払いすることが許されるのかと、われもわれもと押しかけて来られたらどうするのかとの意見も出された。
又、新築工事中のNTT西日本ビルが、通天閣より高い100メートル近い高層に変身するという。いよいよこの街の次の世代との交代が始まろうとしているのが予見できるようだ。その一貫として、先に実験されたなんばの高島屋前の広場の開放でトラムの乗り入れを摸索しているわが街のことを考えているところである。
・きょうのわが駄作詠草
あるときは人差し指が差すめし屋冬のネクタイ締めてめし喰う

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