歳末助け合いの「みおつくしチャリティー能」と称して能楽協会大阪支部の能楽公演が大槻能楽堂であった。収益は九州熊本地震の義捐金に当てられるとのこと。「観世 カ(軽)るすぎ 喜多 キ(気)ばりすぎ 金春 コ(蒟蒻)んにやく 宝生 ホ(骨)ねばかり」と、能楽のシテ方には、観世流、喜多流、金春流、宝生流、金剛流があるが、それぞれの芸風についてこんな戯れ歌があり、金剛が入っていないので、金剛流の人がつくったものだろうと勘繰られていたと聞いたことがある。狂言にも大蔵と和泉があり、今日は大蔵流で、各流派が混じっているのは歳末助け合いらしいことだと考えながら能楽とお付き合いできる時間があったことは嬉しい。
世阿弥の作とされる
『富士太鼓』が上演されている。
「内裏で七日間の管弦の催しがあり、太鼓の役で楽人の間で争いがあり、摂津の住吉神社の太鼓の名手富士が天王寺の浅間という楽人に討たれる。そこへ住吉から富士の妻と娘が上洛して、富士が討たれたことを知り、悲歎する。富士の妻は、夫の形見として鳥兜と舞衣を渡される。それを見つめて、彼女は夫の上洛を止めるべきであったと悔やむ。妻は夫の形見の装束を身につけ、狂乱状態になって、太鼓のために死んだのだから太鼓こそ夫の敵であり、父の敵であると、娘に太鼓を打たせ、二人は涙にくれる。やがて、富士の霊が妻に乗りうつり、妻は娘を押しのけて恨みの太鼓を打ち、舞を舞う。それは富士の山おろしに裾野の桜が四方へ散るような華やかさがあった。太鼓を打つバチを捨てて泣き出した妻は、恨みのこころが晴れたといい、君の御代を祝って舞う。そして鳥兜と舞衣を脱ぎ捨て、これこそ夫の形見であったと太鼓を見つめ住吉へ帰って行く」親子共演の珍しい能で特に娘役の健気さを観て涙が零れるシーンに感銘する。
夫を討たれた恨みを娘とともに仕返ししようと半狂乱になっている妻のすがた。その妻の一挙手一投足の動作を追いながらその単純な動きのなかにも、複雑より、単純なことにこそ秘かに憧れていないかという思いが湧いてくる。また現代生活では、浅薄という視点を考えることがある。浅いことがじつは広く見よと仕向けられることが多々ある。能はあらゆる点に現代への反措定を意味するという考えがある。時々は一見奇妙な世界を覘き見ることで気が付いていない現代文明の偏向を修正しなくてはとの思いを忘れてはならないと久し振りの能楽鑑賞に感じたことである。
・きょうのわが駄作詠草
上町に冬のこがらし吹く日なり狂女百萬という仕舞いを観たる

1883

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