ビルの合い間から望まれる通天閣やあべのハルカスに春霞が懸かっている。春を思わせる好天に恵まれた陽気である。妻は岡山へ母親の四十九日の法要に、娘は以前から続けている大阪玉造から生駒山を越え伊勢本街道を小間切れに伊勢まで踏破する一泊の旅に出かけて猫三匹と留守番をしているところである。娘が伊勢へ歩く旅はこれが最終で、どうしても最後は伊勢神宮の内・外宮参拝を一泊の予定で行こうということになったらしく、民宿でよいから経費がかからないことにしたため20名近くの参加者になったと喜んでいた。そして、昨朝、民宿先から宿泊人数確認の電話があり、その人数を聴いて喜んだ主人が、そんな大勢来られるのなら、これから山に行って猪を撃って来て、牡丹鍋にしてお出ししましょうかという張り切りぶり。昨今、このような素朴な接待がまだ存在しているとはと、参加しない自分までも感心していると、どこで聞いたのか、是非、仲間に入れて欲しいとの飛入り参加の打診も出る始末。歩く人、電車で追いかける人と本来の目的を外れた旅になってしまったようだが、牡丹鍋の人気は大変なものであることが判明した。
イノシシの肉を牡丹(ぼたん)と呼ぶのは、牡丹に唐獅子のシシと、イノシシのシシの同音をとり入れた一種の隠語であるとか。猪の肉を薄いそぎ身にして、芹、大根、葱、蒟蒻などと一緒に煮込み、白みそで味付けをすると教えてくれた丹波篠山出身の大学の同窓生はもういない。彼と学生時代、京都出町柳の桝形商店街のなかにある食肉店の前の路上に猪の屍体がごろりと転がされているのを見て仰天したことがあった。その時の彼の説明であるのだが、さらに山鯨(やまくじら)とも言い、獣の肉を食べるのを忌み嫌ったのでこんな呼び方をしているのだとも教えてくれた。
さあ、今宵、牡丹鍋をつついた連中はどんな感想を聞かせてくれるのやら後日談が愉しみである。
声かけてまたかけられて教えらるあかときまでの猫の恋かな
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