午前3時過ぎに起床した。今晩から天気が崩れて荒れるとの予報が出ているので、明日が命日にあたる実妹の墓参を午前中に済まそうと早起きした。それぞれが午後の予定があるための措置である。
「春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲の、細くたなびきたる。」だれもが諳んじる清少納言が一年四時各季の好ましい時分・天象・景物を対比して評論した
『枕草子』の冒頭文である。
そんな光景が大阪市内から生駒のやまぎはが変化して行く様子を妻と見物できたことは、将に早起きは三文の徳と古来伝えられる風景の出会いがあった。かって司馬遼太郎がこの場面を校注した萩谷朴の文章を激賞したことを想い出したので覗いてみよう。「日出前(にっしゅつまえ)一時間半ばかりから、月のない暗黒の空もわずかに透明さを加えて濃い縹(はなだ)色となり、更に半透明の縹色から浅縹と変わって、日出前三、四十分頃から空は一面に白みはじめる(白くなりゆく)とともに、高い雲が西のほうからトキ色に染まってくる。そのうちに日出前十分ともなると、東の方から透明な淡青の空色となり(あかりて)、青灰色のひくい雲が下半面を朱(あけ)に染め分け(紫だちたる)、東の空は強烈な赤蘇芳(すおう)に塗りつぶされたかと思うと、旭日が遠く高い空に光条を放射して、瞬(またた)くうちに日出となる。」とある。濃い縹色→半透明の縹色→浅縹→白→トキ色→青灰色→朱→赤蘇芳と変化して行く東雲の空の色を観察しているうちに瞬く間に生駒の山に光条を放射して旭日が輝いていた。その情景を伴に見ていた妻は声を発したが、私には声も出ない感動があった。
シクラメンその朱色が目に止まるなぜかあたたか春のあけぼの

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