新世界本通商店街を歩いていたら昭和23年(1948)からここで商売をしている女性に捕まった。彼女が結婚して新世界に来たころの話が出て、変貌した現在の商店街を見渡しながら、あの店、あの人のことが次々に飛び出して来る。話の穂を継ぐために先日通天閣の下を待ち合わせの場所にしていた地方の人から聞き取った「ぜんざい食べに行こうか。」の話題を持ち出したら、「からさき」の「びっくりぜんざい」の話になり、その店が営業していたころの新世界に来て、ぜんざいを食べたことを想い出したのだろうと、そのぜんざいの話に飛び火してしまった。
ふと、前方のシャッターが下りている店の蔭で、八卦を見ている老女を指さして「うなぎ屋」の成れの果てで、今では店をたたんで、一攫千金の八卦を信じて夢を見ているとか。「当たるも八卦、当たらぬも八卦」と、占いは、当たることもあるし外れることもあるものなのだからと説教したら、頑として聞いてくれず気が向いたらあの場所で占いの店を出しているとか。
そう言えばうなぎ屋をやっていたとき、あの店先で、半助(はんすけ=うなぎの蒲焼の頭だけを集めて一山いくらでうなぎ屋の店頭に売っていた。この半助とおやき〈焼き豆腐〉とを一しょに煮ると、うなぎの脂とだしが廻って豆腐が美味くなると、牧村史陽は説明する〉を売っていたことを想い出した。
「八卦」とは占いのこと。易で、陰と陽を示す算木の組み合わせで得られる八種の形から 目に見えない世界を判断するのだが、手相との差が分からないという議論になって来たのでまた遭いましょうと別れた。
夕食の豆腐にうなぎの頭ぶち込んで母煮る味の懐かしきかな
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