一週間前の日曜日には、もう駄目かと諦めていた愛猫のため好天にも拘らず外出を控えて見守った猫が、獣医先生も首を捻るほど快気してしまった。ある詩人が書いた愛猫が亡くなる数日間の様子を読んでこころの準備が出来てはいたが、生き物との決別は不憫を誘うものだ。曰く、「16年飼っていた愛猫が腎臓を病んで、抜けてしまった腰を引きずるようにして律儀に小水へ行き、食事は三日前から摂らず、水だけを旨そうに飲み、かつおぶしを少量口にするだけで他の食べものはすすめても興味を示さず、自分の毛布の上に横たわり、抱かれては、時折り眼をひらいてまわりを見わたしてはまた眼をつむった。そして、どんな啼き声もあげず黙っていて、最期のときは少し頭をあげてまわりを見渡してから頭を落とし、息をひきとった。」とか。わが家の老猫も水を飲み食事も摂らず、血尿を止める薬を服して、自助努力で延命した。静寂のなかに、死とたたかうすがた。何も持ち物を持たない、残すべき金銭もない猫を見、人間とのことを考えていたら生きものすべての死に関する普遍性を思う。この一週間の経過の早さを感じているところである。
思わざる高みに咲ける朴仰ぐ白きがゆえに涙あふれる

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