弥生三月も最後の週を迎え花の四月の、桜の便りも喧しくなって来た。
「一つの花より一枝の花の集合体、一枝よりは一樹、一樹よりは全山の花の方が美しい。これは日本民族の長所が個人主義にあるのではなく、団体的活動にあるのを表現して余りある。」とは、ある哲学者のくしゃみを時の帝国主義者が国定教科書に広いあげたこともあった。ひょっとしたら総理大臣を巻き込んだ大疑獄(ぎごく=罪状がはっきりせず、有罪・無罪の決定のしにくい事件で、特に高官などが関係している大がかりな贈収賄事件)に発展するのではと注目していた森友学園の国有地売却問題も自公民大集団の与党に弱小野党の竹槍で懸命に応戦するも衆寡敵せずと一蹴されそうになっている。
嗚呼、美しきかな日本。否、醜なるかな日本と、再び全体主義に逆走しようとしているのかを考えさせられた三月でもあった。
妻、娘とそれぞれの用事で出かけたので猫三匹と留守居番している。現代歌人の福島泰樹の詠草ではないが、
「三月のさくら、四月の水仙も咲くなよ永遠(とわ)の越冬者たれ」と僻んでいるところではある。
さて、三月と言えばわが街、年寄りが歩いても至近過ぎる大阪府立体育館で興行中の大相撲大阪春場所のことに触れなければならない。羽黒山、照国、東富士、千代の富士のことは時代が分かることを差し置いて、日本人で第72代横綱稀勢の里の人気である。横綱になって優勝を目指し全戦全勝の快進撃をばく進中に破れ左腕を脱臼か?したが口外せず出場。破れ千秋楽角番の大関照の富士との対戦。勝っても同点でという見せ場を作ってはいるが、不可能ではと思いながら、何十年ぶりで観た、テレビ放映での横綱手数入り(てずいり=手数は、わざの意。で横綱の土俵入り。神仏への祈願宣誓と相撲の立会いの基本を示す作法)からテレビ観戦。拍手(かしわで)の力なさを懸念。優勝はないと思ったのだが、本割の対戦に勝ち、優勝決戦で大関を降すといういう横綱の意地を見せて満天下の相撲フアンの喝采を浴びていた。
机辺に散乱したる本のなかに滅私奉公ということば見つける


6