蒸し暑い梅雨の最中である。浪速警察署の前に集合していつものように堺筋を東西に分かれて、「街をきれいにしょう」とのキャンペーンパレードに参加して来る。
久し振りに西側を歩いてみることにした。阪神高速の高架の下をくぐればわが街である。突然、前からやって来た男がわが肩にぶつかって「ご免」とも言わずに通り過ぎて行く。ふり向いて「ちょっと待て」と呼びかけたら、「お前が当たっといて、謝るのはそちらではないか」との剣幕。「年寄りに向かって、何を云うのか」と言わずもがなのことばが出たので、周囲の人々が仲裁に入って来た。
瞬間的にこれは盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)だと思った。わが生まれた昭和12年(1937)7月7日に北京(北平)西南方向の盧溝橋で起きた日本軍と中国国民革命軍第二十九軍との銃をどちらが先に発砲したかをめぐる衝突事件のことである。そして、日中戦争から太平洋戦争への道筋が敷かれて行った。「馬鹿を相手のときじゃあない」とこころに言い聞かせて黙々と行進して行った。なぜか
『麦と兵隊』のあの旋律、「徐州徐州と人馬は進む 徐州いよいか住みよいか しゃれた文句に振り返えりゃ お国訛りのおけさ節 髭が微笑む麦畑」をこころのなかで唄いながら、街を汚くする手合いの登場がかなしくなって来た。嗚呼、一発の銃声から80年が経ったのだとの感慨を覚えながら、汚染されたふるさとの街を新鮮な街になるために歩いているところである。
征く日なき時代に生きて街歩く鉄砲なければ口喧嘩あり

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