風がなくじっとしていても汗ばんでいる午後のひと時である。咽喉の渇きを潤す水を飲めば汗が噴出して来る。昨日はこの時間に病気見舞いに行っていたことを想い出して、無菌室に病魔と闘う人のことを考えていたら一緒に病院に行った人がやって来て疲れてしまったと元気のない顔色になっていた。元気なころの人の顔が短期間で変貌して話す声も判別できない状態になっているのを見てのショックなのであろう。
朝降っていた雨があがり、蒸し暑いなかに陽が射している。汗をかいても少しでも歩かねばと、無菌室に閉じ込められている病人を意識して散策に出掛ける。その途次、名花十友中に数えられている東洋の名花である梔子(くちなし)の花が咲いていた。この花が酒杯に似ているということで、よく観察すると将にその通りの清楚なすがたを見せていた。昨日見舞った病人も日本酒が好きで酒杯を重ねていたのだが、もう一度共に飲みたいと思う。さすればその折の盃はクチナシにしようか。みんなの願いに応えて元気を出してほしい❗
山吹の花色ごろも主(ぬし)やたれ問へど答へずくちなしにして
(山吹色をした衣よ、お前の主は誰ですか、と聞いても答えがない、口が無いという名のクチナシで染めた着物だからです)とは、
『古今和歌集』 にある素性法師の詠草である。
そして、あなたはいつの間に、くちなしの花になってしまったのかと、かなしみながら梔子の花を仰ぎ観ているところである。
眺めてはかなしきすがた梔子は病窓より遠い位地に咲きいて

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