むしむしして外に出る気がしない。家の三匹の猫は暑さを避けてどこに寝ているのか姿を見せない。今年もきょうで一年の半分が経ってしまう。形代(かたしろ)で体を撫ぜて息災を祈念したい。白紙を人の形に切って作ったものを形代という。人形(ひとかた)ともいって男女により形態をやや異にしている。そして、祓いを行うときに名前を書きしるして、身をぬぐいまたは息を吹きかけてけがれを除き、そののち川に流して捨てるとか。今でも六月祓(みなつきはらえ)と言って各地の神社で行われている行事でもある。毎年、大阪の夏祭で最初である愛染さんへの参拝と合わせて、生国魂(いくたま)神社の茅の輪を潜っているのだが、この暑さにかまけて今年はお参り出来なかった。
風そよぐ楢(なら)の小川の夕ぐれは禊(みそぎ)ぞ夏のしるしなりける
と詠んだ
『小倉百人一首』にあるこの歌の作者藤原家隆の墓が愛染さんの隣地にあるのも何かの由縁なのであろうか。
そんなことをいろいろと考えている間に昨日の船乗り込みに一般参加で役者と同道していた人の訪問が突然にあり、人間国宝の十四世片岡仁左衛門に大阪〆の手打ちが指名され、発声までにスムーズにいかず役者でもかかることがあるのかとを話題にしていった。そのあと先日病気見舞いをした病人を見舞って来たと報告に来てくれた人の訪問もあった。
「われもまた六月の死者 生きかはり死にかはり雨のなかゆく」とは、山中智恵子の「六月」がはっきり詠われた「われも」や「死者」さらに「雨」を意味しているところが深いなぞなぞにつつまれた「六月」を作品化した作者の心理的な屈折をみることが出来る。
だれか知るわれのわびしさ膝くずし夕飯食べるあはれなるかな

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