ここのところ、妻がめずらしく暑い暑いを連発している。先日、骨折した京都の知人の見舞いを予定していたが躊躇っているので無理して出かけぬよう進言した。最近、熱中症に注意することが盛んに喧伝されていて水分の補給をうるさく聞かされる。昔は激しい日光の直射をうけて労働したり、長時間歩いたりすると、卒倒することがあって、
霍乱(かくらん)との呼び名で年配の人に使われたことばを想い出す。要は、疲れて動けなくなることを、
ばてるという俗語があるが、夏ばて程度のことならば、どこにも出掛けず、家で安静にしておればと思っているのだが。
朝早く起きて散歩して来た。昼間にはない風に頬をなぜられた。秋を感じさせてくれる風であった。道の隈には夾竹桃はまだ咲いていた。長く咲く花で、美しいが忌まわしい毒々しい花でもある。現代歌人の島田修二は、
「夾竹桃いまに咲きいるこの秋のおのもおのもにながらへしかな」と、秋に入っても、生き残った命の実感を伝えてくれる。そして、この花のことを考えたとき、強い経口毒性があり、野外活動の際に調理に用いたり、家畜が食べたりしないよう注意が必要である。花、葉、枝、根、果実すべての部分と、周辺の土壌にも毒性がある。生木を燃した煙も毒。腐葉土にしても1年間は毒性が残るため、腐葉土にする際にも注意を要する危険性があるとか。この夏亡くなった人の顔を想起しながら、夾竹桃の赤い花を眺めて来た。
夏木立そこは静かな青みどり入るべからずの立て札かなし

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