昨晩は、この夏に亡くなった知人の再度の偲ぶ会があった。通夜、告別式では未練が残っていたのか、故人が呼んだのか、一回目の偲ぶ会があった。それを知った未亡人が私が主催するので来られなかった人のためにももう一度呼びかけて欲しいとのたっての要望があって、死は一度。再度はないのですと言いながら故人の冥福を祈ることになった。夏目漱石は、
「人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向こう三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。」と、
『草枕』に述べている。近在の漱石のいう人たちが集って、生前の故人の話題で花が咲いていた。生前、タイ旅行の折、不審なものを所持しているのが、税関官吏に見つけられ追及され、この如何わしいものは何かと、他の官吏も大勢集って来たことがあったという。故人は手品のネタであると弁解したところ、ならばそれで手品をやって見よと、言われたので取り掛かったところ緊張のためか、皆目出来ず、税関官吏の物笑いになって許されたことがあったらしい。悔しい思いで、冷静になって、部品の一部を忘れていたのを思い出して引返して、この手品を見てくれと申し出たというエピソードが披露され参会者の皆は感銘を受けていた。そんな実直な性格の持主なればこそ、皆に慕われる徳性を持っていたのであろう。前回、泣くので行かないと断った御仁も笑顔で聴いていた。
かって、故人は、電器の街、日本橋(でんでんたうん〉のとば口にある好位置で電化製品を販売。一財産築いたと聴くが構造不況で店を閉じる憂き目をみる。が、でんでんタウンを捨てきれず案内所で日本橋の行く末を見続けていた。そのころからの交際でその人となりに接していた。電器店時代に教えられた、松下幸之助の「徳を高めるには、自分で悟るしかない」ということばを座右の銘としてこころを磨いていたようだ。思ってもいなかった院内感染という病魔に取り付かれて幽界に去っていったが思い出に残る好人物であった。
晩夏光ながい人影落し去る入日のなかで笑い消えいる


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