わが国の皇祖を祭る伊勢神宮は皇大神宮と豊受大神宮の総称で、宇治の五十鈴川沿いの天照大神を祭る皇大神宮は内宮、山田の豊受大神宮は外宮と呼ばれている。
文化勲章受章歌人土屋文明(1890−1990)は、内宮参拝の折に詠んだ歌。
・香りなき風邪の後にてこの朝の五十鈴の川の海苔もさびしも
があり、国文学者歌人尾山篤次郎(1889−1963)は、外宮参拝のとき、
・豊受の神のひがしの宮址に玉ふむ鶏の尾羽のすがしも
と詠み残している。
伊勢へ七たび 熊野へ三たび 愛宕さまには 月参り
伊勢へ伊勢へと 萱の穂もなびく 伊勢は茅葺 こけら葺
わしが国さは お伊勢が遠い お伊勢恋しや 参りたや
お伊勢よいとこ 菜の花つづき 唄もなつかし 伊勢音頭
帯に短し たすきに長し お伊勢参りの 笠の紐
馬は豆好き 馬子酒が好き 乗せたお客は 唄が好き
お伊勢音頭に 心が浮いた わしも踊ろか 輪の中で
伊勢はナーア津でもつ 津は伊勢でもつ 尾張名古屋はヤンレ
城でもつ ヤッコラ ヤートコセー ヨイヤナ アリャリャ コレワイナ コノヨイトココセー
馴染み深い伊勢音頭の美声もごく稀にしか聞かれなくなった。
さて、20年に一度、伊勢神宮は、正宮に隣接する敷地に新宮を建て、御紳体を遷す「式年遷宮」の儀式が行われる。1300年連綿と続く行事である。平成5年(1993)の第61回の神宮式年遷宮を記念に開館した「式年遷宮記念神宮美術館」所蔵の文化勲章受賞者、文化功労者、日本芸術院会員、重要無形文化財保持者が奉納した作品が「伊勢神宮に捧ぐ近・現代の美」と銘うって高島屋大阪店7Fグランドホールで特別公開されているので出掛けてみる。
日本画では前田青邨『神宮式年遷宮図』池田遥邨『五十鈴川』鏑木清方『五十鈴川』河合玉堂『高嶺残雪』横山大観『国破山河在』鈴木竹柏『雨に煙る五十鈴川』平山郁夫『アンコールワット遺跡の朝』片岡珠子『ポートレート柳亭種彦』東山魁夷『霜葉』高山辰雄『春秋』上村松篁『小国』。洋画では安井曽太郎『柿と梨』坂本繁二郎『ざぼん』熊谷守一『鯉』小磯良平『人物』絹谷幸二『神嘗祭由貴大御饗の参道』。書では杉岡華邨『神雲』金子欧亭『芭蕉奥の細道より 石山の石より白し秋の風』青山杉雨『宜子孫』など、高名な芸術家の作品群に圧倒される。多分、それぞれの作品の評価価値を数千万円としても、大した貢物ではあるがと、思うのは、不遜であるのかも知れない。
歌人山中智恵子に『斎宮女御徽子女王〈さいぐうにょうごきしにょおう〉』の名著がある。神の斎(いつ)き人から皇妃へ、特異な生涯を生きた優艶清洌の歌人徽子のことを丹念に調べ挙げている。古来、天皇は未婚の皇女を伊勢神宮の斎宮として捧げていた。卜定された皇女は、天皇に不幸がないかぎり都に帰還できない。皇女、徽子もその一人であった。彼女の場合、生涯二度、斎宮を勤めていて「百人一首」にも名を連ねる歌人でもある。
・秋の日のあやしきほどのゆふぐれに荻吹く風の音ぞきこゆる
『斎宮女御徽子女御』の冒頭に「三重県多気郡明和町の、斎王宮趾の発掘調査中、昭和49年に、風字硯(ふうじけん)と呼ばれる陶硯の破片が出土、50年冬の第2次調査では、同じく風字硯の緑釉のものの破片が見出された。風字の陶硯は、中国伝来のもので、のちに日本でも作られ、平安朝初期から、宮廷なので用いられた。脚がついていて、風の字なりに、裾ひろがりにつくられている。竹(多気)の都といわれた斎王宮、すなわち斎宮寮で、風字硯に親しんだ、斎王(いつきのみこ)、斎内親王(いつきのひめみこ)、あるいはその住居をとって斎宮(いつきのみや)と呼ばれた、伊勢皇大神宮の御杖代(みつえしろ)である。歴代の内親王や女王の面影を追うとき、万葉集の大伯(おおく)皇女を措けば、斎王中、最も秀れた歌人であり、三十六歌仙の一人として選ばれている、斎宮女御徽子女王の、秋風のうたが思い出される。」と述べられている。山中智恵子はそのとき「斎宮趾に風字の硯出でしこと序章となさむ秋立ちにけり」「風字硯緑釉なせる復元図語りあへぬに明けはなれたり」「かく晴れし文字宛てしこと苦きかな明庭(すめらがみかど)口ひびく夏」と徽子の世界に思いを馳せている。巫女(みこ)と渾名される、現代女流歌人屈指の難解歌を作る人の感性が伝わってくる思いになる。
伊勢神宮に捧げられた、芸術の貢物の数々に思いを馳せれば、日本人のこころの襞に触れた気分にさせられたひとときであった。
―今日のわが愛誦短歌
・まかがやく夕日のなかに眼(め)をとぢよ
かくして今も由緒ただしき 前川佐美雄
―今日のわが駄句
・伊勢うどん今宵また良し十三夜

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