ネットで「八重山毎日新聞」を読んでいると、石垣市の「秋の大掃除」が18日から始まった。22日まで。とある記事が目にとまった。「大掃除は、住みよい生活環境の確保と公衆衛生の向上を図るため、石垣市廃棄物処理および清掃に関する条例に基づき、春と秋の年2回実施されている。期間中は、市職員が各地域を巡回。地域の公民館役員などと各世帯を訪問し、指導票を渡しながら屋敷内外の清掃や犬の適正な飼育状況などを確認、指導する。」今どきの都会生活者には理解し難い、秋の大掃除の行事であるが、終戦直後の数年間大阪市内でもそのことを経験している者にとっては懐かしい想い出である。「初日は、各課の協力を得て職員18人を動員。県営団地や公務員宿舎、磯辺、宮良、白保、真栄里ニュータウン、前原ニュータウンで清掃点検を実施した このうち午前中に点検した宮良地区では、公民館が掲示板に1週間ほど前に清掃を呼びかけ、大半の世帯で清掃が実施されていた。点検した市職員は「市街地と比べ、きれいに清掃されている家が多い」と評価した。
また、家の周囲を清掃していた女性は「大掃除にはいつも掃除するよう心がけている。今年は台風が来たせいか、草なども少なく、掃除する所も少ない」と話した。市生活環境課の仲本賢治副主幹は「自分の屋敷内だけでなく、屋敷に面した道路も清掃してほしい」と呼びかけた。
また、ハブの出没にも注意を促した。」とある。
民俗学の宮本常一(1907−1981)は「秋の大掃除」について解説している。「流行病を防ぐために、春秋二期大掃除が強制せられるようになったのは、明治にはいってからである。大掃除にはほぼ一定の基準があって、家の中の畳や什器を出して畳はよく日に干し、天井のすすを払い床板をあげて床下をはき、どぶをさらい、便所などもくみ取りを行ない、不潔なところには石灰もまいた。くず屋はくずを集めに来、不要のごみは一か所に集めて焼いた。それが一とおりすんだころ、役人の見回りがあり、合格していれば大掃除の済んだことを認めた札をくれる。」『宮本常一著作集』現在の都会生活者から見ると、随分、時代がかった事実ではあるが、つい半世紀前までは、日本各地の常套的な風景であつたことを思い出す。
「朝日新聞」10月23日付朝刊大阪版に大阪府大東市議会が22の迷惑行為に5万円以下の過料を徴収する条例を準備、成立が確実となったことが報じられている。すなわち、・すべてのポイ捨て。・犬猫のフンの放置。・指定された場所での自転車の放置。・歩行中の喫煙。・迷惑花火。・暴走行為。・公共施設でのスケートボード。・公共施設、場所での喫煙。・公共施設への落書き。・違法看板と迷惑看板。・周辺に迷惑を発生する空地の管理。・家庭ゴミの出し方でのマナー違反。・自転車の乗り方における迷惑行為、マナー違反。・カラス、ハトへのエサやり。・アルミ缶回収時のマナー違反。など、正に現代風秋の大掃除が行われようとしている。わが「でんでんタウン」でもしばしば問題視されている、・指定された場所への自転車の放置。・違法看板と迷惑看板。・自転車の乗り方における迷惑行為。・カラス、ハトへのエサやりなど思い当たる節があるようだ。
「何だ、あれが僕たちの探し続けていた青い鳥なのか」メーテルリンク『青い鳥』より。幸福感というものは心のもちようにある。どこかにあるものではなく、いま、そこにある現実の中にこそ見つけ出すべきものであると、教えているのだろう。
―今日のわが愛誦短歌
・乞食(こつじき)のたらへるときを嘆くかへば
枝差しのべて言葉正せる 前登志夫
―今日のわが駄句
・柿一つ二つ目はそと剥き急ぐ

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