幽かな塩の湯の宿に一泊して、こうのとり公園と生野銀山の見学へ。双方とも再三の訪問となる。こうのとりは自然の空間を飛翔するすがたに突然出遭ってその大きな翼長に驚いたことがあった。訪れたこうのとり公園のたまり場には、白サギや五位サギなどに混じって20羽近いこうのとりの群棲が見受けられた。わが国に一羽しか存在してなくて、絶滅危惧種と大騒ぎされた時代もあったのが此処にかかる数10羽のこうのとりが見られるとは、その存続に努力した関係者と、地元民の努力に敬意を表したい。
だが、このこうのとり公園に来る途次、丸山川添いにある城崎温泉を通過するとき、ひそかに志賀直哉の短編
『城の崎にて』のことを考えていた。そのあらすじであるが、山の手線の電車にはねられ怪我をしたが、からくも命拾いした「自分」は、養生に城崎温泉を訪れる。宿泊している宿の二階で「自分」は一匹の蜂の死骸に、寂しいが静かな死への親しみを感じる。また、ある日、首に串が刺さった鼠が石を投げられて必死に逃げ惑っている姿を見て死の直前の動騒が恐ろしくなる。自殺を知らない動物は死に切るまではあの努力を続けなければならない。今、「自分」にあの鼠のようなことが起こったならどうするだろう。また、そんなある日、何気なく見た小川の石の上にイモリがいた。驚かそうと投げた石がそのイモリに当って死んでしまう。哀れみを感じるのと同時に生き物の淋しさを感じている「自分」。これらの動物たちの死と生きている自分について考え、生きていることと死んでしまっていること、それは両極ではなかったという感慨を持つ。そして命拾いした「自分」はそこに三週間いて去り、それから、もう三年以上になるが当初懸念した脊椎カリエスになることだけは免れる。
たった一羽しか残らなかったこうのとりの子孫が増え続け、徳島県まで出かけ営巣し繁殖していると聞く。人間に食べられ絶滅危惧種までなったこの鳥の悲しさを思うにつけ志賀直哉の名作が甦ってくる。雨のなかを生野銀山への見学に向かった。
度々に転がりかけるを支えられ真上を飛べるコウノトリ見る


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