通俗小説と言えば山本周五郎に叱られるだろうが、38巻からなる彼の全集が居間の隅に転がっているのだから、朝早く目覚めて、手持ち無沙汰の折には、つい手が伸びている。
『柿』という作者初期の小品が目についた。実は其処に柿が転がっていたから、季節柄、
『柿』と題する作品を読むという衝動があったからであろう。
要するに、とある地方藩の支藩の城代家老と気脈が通じるお家の幼い頃から仲の好い子息同士の話題なのであるが、そのお家の両親は行く行くは息子の妹を支藩の城代家老の息子の妻にと考えている。その兄妹と支藩の城代家老の息子との関係が粛々と進んでいる筈が、ある夜、酒の悪戯か、酒を勧め過ぎてしまい、城代の息子を泥酔させて家に泊める破目になってしまった。その屋敷の庭には、樹齢50年の柿の古木があり、深夜、庭に出た娘がふとその古木を見上げたら、怪しい人影が、大枝の上に蹲(うずくま)っている姿を見つけ賊だと直感し、長押(なげし)に架けてあつた薙刀(なぎなた)を取り下ろし、鞘(さや)を払って庭へ出て行った。柿の木の下に来た娘は「曲者」と、鋭く叫んだ。が、木から降りて来た男は泥酔している筈の男であった。実は酔っていないと云ったものの酔っていて、熟柿が酔いを醒ますのにいいと聴いているので、木に登り熟柿を採ろうとしたのだと。以前、貴女に青い実を採ったら、熟してからも遣らぬと怖い目をして叱られた、あれ以来、柿を手にする度に、貴女がどこかで、「堪忍してあげる」と、云っているような気がしたものだと思っているとか。あくる日昨晩のことは忘れて、酒抜きで馳走するからと誘った。娘はいよいよ自分の運命が定まるのだと胸が震えるのを感じながら、柱懸けの一節切(ひとよきり)には
あけびの蔓(つる)を挿して薄化粧を終えて待っていた。
運ばれた膳に箸をつけようとしたとき、お宅より急ぎの使者があり、折角のご馳走だが頂戴している暇がなくなった。早馬の急使で父が危篤の知らせがあり、夜道を急がねばと、蒼惶(そうこう=落ち着かないさま)と去った。三日目に父の死の連絡があった。三七日の忌も明けたが、まだ取り込みに忙しいのか、兄妹宅への訪問もなかった。そのうちに城代家老宅に妙な女を家に入れているそうだとの思いもかけぬ風評が耳に入った。堪りかねて城代家老宅に乗り込むと、若気の過ちで、子どもが出来て三歳になる男子だと云う。そして、藩が幕府から預かっている銀山の獄の、労朽か無能者と相場が定まっている役所詰に左遷させられるとか。数日後、帰宅した折、妹が女の客来を伝えた。逢えば、死んだ城代家老に仕えていて、そのときの側女であったが死亡したので息子が、自分がかわりになって親の名誉を庇うという。それを知って若旦那には何ら関りのないことで、これを読んで下さいと父の遺書を示した。読んでこれを国家老に判断してもらわねばと、国家老の屋敷を訪れ、左遷を取り消して戴きたいと嘆願。兎に角、仔細を述べて時期を待つべきことを口にして、すぐには受けないだろうが、と国家老の口添えだと、役に立てるがよいと、国家老に仔細を通じておけばいずれは運の打開されるときが来るだろう、こうなれば一刻も早く妹との婚約を承知させることだ。と門を出ると、思いがけず妹が待ちかねる姿を見つけた。そして、兄に持って来た、この柿の枝を差し上げてくださいと差し上げれば分ります。百千の文字よりも深く、私の心を知ってもらえる筈だと、手渡した。百千の文字を連ね過ぎたが、大衆文学にもなかなかの感動がある事を覚えた次第である。
早起きをして、三文の徳をした気分になっている。
柿食えばそれぞれ違う味もあり渋くも甘くまたスッパさもある

1549

4