「甲子園球場のグランドに立とう!」というイベントが以前紹介した甲子園の「刻印レンガ」を購入した人に招待券を戴けたので、出掛けてみる。グランド(土の部分)でのウォーキング、外野天然芝での写真撮影タイムなどが、盛り込まれていて、スタンドからしか観られない甲子園球場をグランドに立ち体験することが出来た。
午前11時40分のグループに指定されていたので、30分前に、指定のライト側アルプススタンドの前に集合する。ここから、高校球児が春夏の全国大会の入場式の折に憧れの甲子園の土を踏む「通路」である。テレビで全国の高校野球ファンが注視するスポットである。高校球児の気分になって、内野スタンドと外野スタンドの切通しからは遥かにレフトスタンドの照明塔のみが見えていて、スタンドの姿は見えない。が、本番のときは、球場の海鳴りのようなざわめきが伝わってきて、これから戦場に臨む戦士たちの闘争心はいやがうえにも掻きたてられ、その胸はときめいているであろうことが想像される。かつてはこの位置から、六甲の山脈みが連なっているのが望見されたはずだ。
係員の誘導でグランドに降り立つ。そこには、高校野球の折と同じ入場ゲートが設(しつら)えられて一同が整列する。耳慣れた甲子園球場の女性ウグイス嬢の声で「本日のご来場を歓迎いたします」といった趣旨のことばが場内に流れる。そして、『ああ、栄冠は君に輝く』のあの行進曲が鳴り渡る。何となく、胸を張り、足を上げ、手を前後に振り、一二、一二の気分になってしまう。そして、この名曲を残した作詞 加賀大介 作曲古関裕而の二人はこの世にはないが、燦然と輝いているあの名曲が自然に口をつく。
一 雲は湧き 光あふれて 天高く 純白の玉今日ぞ飛ぶ
若人よいざ まなじりは 歓呼にこたえ
いさぎよし ほほえむ希望 ああ栄冠は君に輝く
二 風を打ち 大地を蹴りて 悔ゆるなき 白熱の力ぞわざぞ
若人よいざ 一球に 一打にかけて
青春の賛歌をつづれ ああ栄冠は君に輝く
三 空をきる 球の命に かようもの 美しにおえる健康
若人よいざ 緑濃き シュロの葉かざす
感激をまぶたに描け ああ栄冠は君に輝く
銀傘(ぎんさん)という言葉が懐かしく響く。昭和26年(1951)甲子園に「銀傘」が復活した年である。初めて父に連れられて甲子園の夏の大会を観戦した時を思い出している。京津代表の平安が清水宏員投手を擁して優勝した。その時の西村監督は戦争で右手首を失い、左の隻腕(せきわん)でノックする姿に感動して中学生の目に焼きついた姿は半世紀を遥かに超えた今も忘れられない。芦屋の植村義信、桐生の毒島章一、岡山東の秋山登、土井淳のバッテリーのことが印象深く、後年名を成した片鱗はすでにみえてていたのだ。いまこのグランドに立つと、走馬灯のように名勝負、名選手の球児たちの動きが蘇ってくる。プロ野球は見せる野球だが、それにない高校野球の純真さは、その比ではない醍醐味がある。その球児たちのメッカである甲子園球場の原頭(昔はこの表現が使われていた)に立っていて、うたた感慨に絶えぬのも歳の所為かも知れない。
六甲颪ならぬ、霙まじりの雨が降って来た。この広大な球場の真ん中にただ一人佇めば、正に原頭に孤影をさらす姿ではある。あと一球で勝利のピッチャーになる、という状況にある投手の心の内が見えた気がした。係員にここから退場してもよいかと予定時間前に尋ねると結構ですよ、と言われた。代打に出て敢えなく三球三振に打ち取られた打者の心境も味わってみたかったのかも知れない、という唐突な気持ちの動きがあとになって湧いてきた。帰りに、名物のカレーを食べたのだが、終戦直後の食糧難のときにここで食べた旨さにはるかにはるかに及ばぬ味である気がしたのだが・・・。
今日のわが愛誦短歌
・耳を切りしヴァン・ゴッホを思ひ孤独を思ひ
戦争と個人をおもひて眠られず 宮柊二
今日のわが駄句
・みぞれ打つ足より下は土ばかり

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