曉闇をついて、黒い猫がゆっくりと歩いて来る。依然、闇が濃く、それが黒猫であるのか、定かではない。そのゆっくりとした歩行は、何かを求めているらしい。薄明の空の下、徐々に明るさを増し、その猫が、漆黒の雄姿をはっきりと現す。どうやら、恋の蠢きらしく、妖しい鳴き声を残して消えていった。曙は高層ビルを丸ごと包んでいる。春が近づいてきたぬくもりを感じる。
飼っていた猫が姿を隠して九か月が過ぎた。このような猫は一体どこに行くのだろうか。どうも人気(ひとけ)のない近くの野原がそのたまり場らしい、といわれる。その場所をまま「踊り場」と呼んでいるらしい。
江戸時代に編集された奇問集『耳袋』に、ある寺に飼われていた猫が庭にきた鳩を捕りそこなって「残念」といったという話がある。飼い主の和尚は、「汝、畜類として物をいうこと奇怪至極なり。化けて人をたぶらかそうとするのか」と猫を捕えて殺そうとしたが、猫は、「猫が物をいうことは、我等に限らず、十年余りも生きておれば、すべての猫は、物は申すもので、それより十四、五年も過ぎれば、神変を得るといいます」と答えると、和尚は「お前が今日、物をいったことは、誰も聞いていない、しばらく、このままに飼って置いてやる」と、赦される。が、猫は和尚にこれまで世話になったことを謝し、寺を去っていった。このように去った猫たちは「踊り場」に集まっておどりを楽しむ、という伝説がある。
東北のある地方では、「おさのさんこ/館鼻のどて黒ッこ/おきのきよこ/おとらこア来ねアば/踊りこアすまなエ」と、仲間たちの名を囃しうたに折り込んでおどりを踊る、とのこと。さしずめ、わが家の飼い猫は、「ととらッこ」であろうか。
黒猫といえば、竹久夢二の憂愁を思う。
・なにかしてふっと涙のうかみいづ
スウヰトピイをつまむとせしに。
・ほのかなる黒髪のかげの黒子(ほくろう)に
涙かけしと人にしらゆな。
・ふりかえりふりかえりゆく後影(うしろかげ)
きみまつ母も寂しき一人ぞ。
愛するひと彦乃に捧げた夢二の絶唱である。そして、彦乃をモデルに描いたといわれる「黒船屋」に憂いを帯びた大正ロマンの香りが漂う。夢二が、若き日に関わりを持った、社会主義者たち、―幸徳秋水、堺利彦、荒畑寒村、大杉栄、神近市子らの影響からの脱出。その敗北のあとの無力感に挫折することなく、その裏側を抒情の世界に包み込んでしまう。しかし、その世界こそ「さだめなく鳥やゆくらむ青山の青のさみしさかぎりなければ」の短歌に表象されているように、彦乃らとの愛の遍歴を哀しく、寂しく、嘆きながら、その人生の憂いを抒情的にうたいあげる。
早春の朝、恋路を彷徨う黒猫の影を追いつつ、夢二の描く『黒船屋』の画面を思い出す。ずっしりした、ぬくもりを感じる黒猫の重み、顔にくらべて、やや大きめの手足の配置、逆S字型になよやかに流れる体の線、夢二好みの黄八丈の着物の配色がより層鮮やかに脳裏に浮かんできた。
―今日のわが愛誦短歌
・鉛筆に薄汚れたる掌を洗う迷いつつ仕事終えてしまえば
清原日出夫
―今日のわが駄句
・髭剃りて魚氷(うおひ)に上(のぼ)る日を笑う

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