行ってしまう年が本当に名残惜しいことだ。こうしてはっきりと鏡に映る私の姿までも、年ごとに老いて人生の終わりに近づいていくと思う。とは、
「行く年の惜しくもあるかな ます鏡見る影にさへ暮れぬと思へば」の
『古今集』にある紀貫之の詠草である。三日経てば年が改まっていて貫之の年の尾の感慨がよく伝わって来る。朝のテレビでは、この一年の出来事が回顧されて行く。長いこと日曜日にある一週間の出来事を年末ということでチャンネルがあって観てしまった。もう20年以上拝見していなかったレギュラー出演者の顔ぶれは変わっていないのだが、一様に老いて貫之の抒情を待つまでもない。年の瀬の街を歩いて行く人の足取りも一段と慌しさを感じさせてくれる。外国人がいっぱいで歩くのに難儀したと黒門市場から帰って来た主婦。何も持たず手ぶらの外国人群団がホテルから街に溢れ出て来るでんでんタウン。何を買いに来ているのか新世界からナンバまでを右往左往している日本の若者。インフルエンザに罹り、医者に年内絶対に外出禁止を宣告されているにもかかわらず、マスク越しに3メートル離れて会話して所用をこなす知人の責任感の強さに感心する。今年もまた年の暮の風景を眺めながら行く年を惜しんでいるところである。
年迎えする用意とて東巴(とんぱ)の文字を架けたり意味解らずに

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