昨日の雨のあと、晴れた朝を迎えたのだがそのあとはまた曇り空の日に戻っている。ある歌人の言によると、折り合いの良くない太陽暦と太陰暦の間で来るべき春のために痩身のひと時を曝しているのを
「細り木」という表現をされているのだとか。坪野哲久に、
「山茶花(さざんか)の充ちて咲きたる細り木をひとり懸命に立つものとせり」という短歌を思いながら、葉を落としつくした木は厳密には枯木とは違うが細り木の差し交わした空間に光りがかがやいていることに力を感じたりするものだという。いつもの散歩道に咲く山茶花がびっしり紅い花をたたえて咲き誇っている。その花を懸命に支えた細り木を見ていたら、この街路の植え込みの前の店で三十年前から飲食店を経営していたマスターを想い出す。まさか病を押して営業していたとは気付かなかったのだが、昨年急死された。そのマスターが長年世話していた山茶花が細り木にいっぱい花を咲かせていて残されていた。
雨曇りして咲き急ぎする山茶花のくれないの花硝子が映す

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