七月二十五日は大阪では天満宮の夏の大祭がある。氏子ではないが、船渡御のある時刻がまだ夕暮れていない陽が高い北浜の難波橋から天神橋までを土佐堀川や堂島川の流域の街を遡り、気の早い
「どんどこ舟」をひやかしながらさんざめいてもう何年が経ってしまったことだろうか。あるときは川沿いにある取引問屋の社員に見付かり無理矢理に三階建ての屋上に拉致され船渡御もそっちのけでビールの歓待を受けたことがあった。流石に、お江戸日本橋で江戸時代からの大店(おおだな)だけあって、こんな場所に大阪支店を構えているとは大したもので、このときの出会いが、まだ大阪での取引先が少なかったので重宝に利用されたものだ。そして、その秋の結婚式には、東京から来ている店長までちゃっかり来賓の顔触れのなかに納まっていた。そして、それはそれとしてその会社の隣りにあった料亭の仲居頭が後年、南地で小料理屋を開業した折に紹介があり、良質な取引関係になったものだ。あの時以来、有為転変の世の移り変わりに人のつきあいに時代の変化があって、半世紀以上が経ってしまっている。
そして、ことしは新型コロナウイルスの影響で神霊を乗せた奉安船を中心にお迎えの太鼓やお囃子のどんどこ船が供奉して、花火が揚げられてにぎやかなものだったが今年はない。それどころか梅雨が明けたという宣言もない。朝から降ったり止んだりの爽雨(そうう=さっぱりして気持ちがよいさま。わり切れてねちねちしないさま。 暗やみがさっぱりと割りきれている)という梅雨明け近しの感があるが、やがて来る炎天も近いようだ。
なお雨が降るのではと空仰ぐ蝉が鳴かない天神まつりとは


6