大和川という名前は、大和盆地を流れている大方の川が桜井市の北東部を源流とするこの川に注ぐことに起因する。そしてまっすぐに生駒山系と葛城山系の間の低地を抜けて大阪へと下っていく唯一の川である。川沿いには道ができ、古来よりここは大和と河内を結ぶ重要な道であり、また川は 物資を運ぶ重要な運路であった。山と山の間を抜ける川は蛇行が多い上に、風が抜けやすく、たびたび水害や風害が起こる場所であった。
6月に廣瀬大社を尋ねた時、そこが水神を祀っているところであり、対として、風神を祀っているのが龍田大社であると知った。龍田大社は何度も斑鳩の里や龍田川を尋ねているのに、一度も行ったことがないことに気がついた。
創建は崇神天皇の御代で疫病が流行った折に「吾が宮を朝日の日向かう処、夕日の日隠れる処の龍田の立田の小野に定めてまつりて云々」という神託を受けて宮を建てると疫病がおさまったからだという。
また聖徳太子が寺を建立しようと平群川沿いで場所を探していた時に、白髪の老人が現れ、斑鳩の地に建てると良いと告げたという。その老人に誰かと尋ねると、龍田の山で秋の紅葉を楽しんでいるうちに千余年経ったといい、法隆寺の守護を受けもつ龍田明神の化身だと言った。
その話が本当であれ、どうであれ、この地が重要な土地で、飛鳥時代にはここさえ押さえておくと外部からの敵は抑えられると考えられていたことを考えると、国家鎮護の神社がその入り口の左右を守っていたというのは当然のことなのであろう。
しかし、いつしか都の場所が移り、その役目はその土地を守るというものに変わり、龍田大社も今はただ穏やかに紅葉の美しい古社となった。しかし時折強い風が吹き、紅葉が舞い上がると、そこにはやはり風神が祀られているのだということを思い出させた。
大和川風と水守る神があり紅葉狩りする斑鳩の地に

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