穏やかな春の光りの射す好日である。新型コロナウイルスの拡大の愁いさえなければ、不要不急の意識もなく、春遠からじの山野を歩きたくなるのもむべなるかなであろう。
「九十の端(はした)を忘れ春を待つ」とは、老女流俳人、阿部みどり女の春遠からじの感慨ではないが、端(はした)即ち、「まともにそろった状態ではないこと。はんぱ。ちょうど切りのよい数(量)に余った分。」は、八十才を超えている自分にも通用するのだと共鳴している。これと替えて下さいと、妻に渡されたマスクを見ると、紺を取り戻した待春の空の装いがあった。
何ゆえの戸を閉ざしいむ終日をコロナの噂また訊きいたる

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