曇り・雨・晴れ・曇り・雨・晴れと、早春の日々が続いている。寒いですねと、商品を配達して来た運転手に云えば、いや暑いですよと、額の汗を拭っている。コロナ禍を警戒して外出を控えている老人には、このような季節感が理解出来なくなっているのだろうか。私より一回りほど年齢が若い婦人が、妻を呼んで欲しいとやって来た。何か難しいことが起きたのかと訊ねたら、妻が参加している会の会費1000円を徴収に来たとか。それだけですかと、1000円立替ようとしているところに妻が現れる。どうしてボランティア活動する会に会費が入用なのかとわからなかった。聞けば、あの人は娘の友だちのお母さんで妻とも懇意であると言う。ボランティアに何故会費がいるのか不思議であったが、それは縷々説明されて納得した。妻は数個のボランティアグループに属しているというので、忙しい筈と納得した。
今、妻の友人が大谷ゼミだったからと借りきた大谷晃一の
『余生返上』を読んでいる。大谷は私より少し先輩の関西学院を出身の作家である。
「これでは行かん。何とかせんならん。・・・ふと、部屋の隅のパソコンの前に坐った。七三(なみ)子が死んで四日目だった。よし、小説を書こう。・・・余生をを止めよう。返上しよう。」と意図したとある。
「ああ、もう十分に生きた。77歳で手塚山大学学長を退任するまで、京都新聞社で二年、朝日新聞社で三十年、大学で二十二年を合わせるtと、何と五十四年も働いた。・・・」「別冊関学文芸」46号。とある冒頭の文章から一気にこの作品を読んでいる。
余生返上とは難しきかな朝起きてきょうの天気を先ず考える

3