大阪では、食べることに貪欲に介入してくる手合いを「いやしんぼ」という。牧村史陽『大阪ことば事典』によると、「イヤシンボ【賎し坊】(名)食いしんぼ。口いやしい者を指していう罵称。長崎では、イヤシボウ、安房では、ヤシボウというように、このボまたはボウは、けちンボ・しわンボ・怒りンボ・酔うたンボ・食いしンボ・かくれンボなどと同じく、(法)師または(坊)主の転であろう。そしてこれらの諸例に見るように、ボの前の音がボの音に同化されて撥音化し、その結果、ボーの長音化が短音化したのである。」と書かれている。
いま他所から迷い込んできた黒猫が、わが家に居着いて8か月になる。どこでどんな生活をしていたのか、のべつ幕無し食べることを要求し、鳴き続け、辟易させられる。いわゆる「いやしんぼ」なやつである。
上映中、映画館で隣席でバリバリとスナック菓子を齧る音をさせる手合いがいる。途中から入って来て、空いている席に座っていた時代と違い、指定された席で静かに映画観賞できる時代だ。こんな所で、「いやしんぼ」するな、と言いたくなり、その公徳心の欠如を嘆きたくなる。
二年前に亡くなった昵懇にしていたスナックのマスターのことを想い出す。彼は名のある料亭の庶子として生まれた。出生の事情もあり、東京の大学を出て料理人の道を選んだ。知・技ともに優れた腕前の持ち主となった。しかし、自分の事情を慮ってか、生家の前に一切姿を現すことのない人生行路で、小さなスナックのマスターとして、一生を終える。連絡を受け、お別れに来たその料亭の女将は、このような人の存在を始めて知ったという。見事なまでの日陰者の一生であった。
彼の店では、出される料理が絶妙の一品であることは、言うまでもないが、その豪華な器による盛付は他店の追随を許さぬ魅力を持っていた。ある時、彼が云った言葉に「俺は、いやしんぼが好かん。」の一言がある。「俺の造った料理には、お代わりはない。させない。何故か?お代わりするのは、まだ食べたいやろけど、それは、あくまで、いやしんぼの賎しいさがみえるからや。俺にとっては、それが屈辱になり、俺の一品を否定されてることになるからや」と。妙好人の言である。
「いやしんぼ」は食べ物に対する事だけでなく、知らぬ間に人生や生き方の賎しさまでもが垣間見えるのかもしれない。
―今日のわが愛誦短歌
・山茶花(さざんか)の疾風(はやて)にたえず散りし花
かろやかにして土にかがよう 窪田章一郎
―今日のわが駄句
・耕せば恣(ほしいまま)なる影を踏む

30