建国記念の日から土、日曜日と続く3連休である。忙しい筈の飲食店関係の業務はコロナ禍の影響で連日休業が続いていて、わが社の従業員は、さっさと退社している。昨日は娘達のグループ十数人が橿原神宮を基点として畝傍、香具山、耳成と大和三山を登って来たとか。「春は名のみの風の寒さや。谷の鶯(うぐいす) 歌は思えど時にあらずと 声も立てず。時にあらずと 声も立てず。」との
『早春賦』を口ずさんでくれた旧制女学校出の才女の歌声が、空襲で罹災した焼け野原に畑を耕しながら唄っていたソプラノが印象に残る。確か彼女の許婚者(いいなずけ)がまだ戦場から帰還していない憂愁を少年にもよく分かっていたようだ。結局、彼女は戦死した許婚者を忘れたのか、後年、結婚し東京に行ってしまったことを想い、生きていたらもう卒寿を越えていることを追憶する。
「香具山は 畝傍雄雄(うねびおお)しと、耳成と相諍(あひあらそ)ひき。神代より かくあるらし。古(いにしえ)も しかなれこそ、うつせみも 嬬(つま)を 争うらしき。」との天智天皇の三山の歌が
『万葉集』にある。山本健吉によれば、
香久山(女)は畝傍山(男)が雄々しいとて、耳成山(女)と戦い争った。神代から、つま争いと言えばこうだったに違いない。大昔もそうだったからこそ肉親の人間も、つま争いをするのに違いない。と。そんなことを考えながら、昔々、犬養孝の万葉講座で訪れ、説明を受けつつ見はるかしていた大和三山に思いを馳せた。
起きてまた酒呑まむと思うこと思いしことは花盛るころ

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