娘の友人から戴いた菜の花を束ねて店先に挿してある。春風が冷たく感じられる候とかと、料峭(りょうしょう)という
きざな書き出しの手紙が手元にある。かって短歌を友としたこの時季のお互いの様相が懐かしい。二月二十六日所謂、2・26事件の特集号(1981)をしている
『歴史と人物』「中央公論」刊の雑誌を引き出して来て部隊を動員して要人襲撃した二・二六事件の全貌を勉強しているところである。
「白きうさぎ雪の山より出でて来て殺されたれば眼(め)を開き居り」とは女流歌人斉藤史の短歌を思い出す。―「雪の山から出てこなければうさぎは命長らえたかも知れないが、それでは、何も知らないままで生涯を終ってしまっただろう。とすれば、たとえ殺されても本当に眼を開くことができたのはうさぎにとってよかったのではないか」(春日井建)。「雪山から出て来た白うさぎ、ちぎれ雲のように白から白が離脱する。眼の赤と血の赤とがアクセントを構成しつつ、白から白が遠ざかる。死への距離が生の質を照らし出している。」(佐佐木幸綱)。「殺されてなお『眼』を開いている白い小動物を認めたことによる心理的波紋が、黙したまま生きている自らの痛みに及んであろうことは疑えまい」(小中英之)。と、それぞれ当時意識し合った識者の言を味っているところである。
「今夜、攻撃してくる」。ウクライナ大統領が侵攻を続けるロシア軍の部隊が、首都キエフに迫っている不安に数千の武器が志願する市民に手渡されたとの報道に、市街戦の悪夢が募る。「爆弾に囲まれて、どこに逃げたらよいのか」と現地からの悲鳴が伝わって来る。ああ、今もなお且つ強者は弱者を靭振ろうとしているのだろうか。
ある限り声を振り上げ叫べども届かざるとき怨念哀し


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