昭和史のなかで5.15、2.26、12.8、8.15の月日付を示す数字をみれば、それが如何なることを意味するかは、殆んどの人が知っているはずだ。そこで、わが貧しい書架から「2・26事件」と名の見える書物をざっと拾ってみた。
松本清張『昭和史発掘二・二六事件』、松本清張・藤井康栄『二・二六事件研究資料』、河野司『二・二六事件獄中記、遺書』、大谷敬二郎『二・二六事件の謎』、立野信之『叛乱』、須山幸雄『西田税二・二六への軌跡』、太平洋戦争研究会『図説2・26事件』、香椎研一『香椎戒厳司令長官秘録二・二六事件』、澤地久枝『『妻たちの二・二六事件』、保坂正康『秩父宮と昭和天皇』、斎藤道一『ゾルゲの二・二六事件』、埼玉県『二・二六事件と郷土兵』、山崎國紀『磯辺浅一と二・二六事件』、高橋正衛『二・二六事件ー「昭和維新」の思想と行動』などが散見される。
さて、二・二六事件といえば、歌人斎藤史のことが頭を過ぎる。―「作者というものの背景には常に時代の流れがあった。誰もそれから全くはずれて生きることは出来ない。万葉人にはその時代が―、晶子には明治の青春が―。わたしの背後には戦争へなだれていった一時期が。職業軍人であった父、瀏が、特殊な一生を送った人間であったために、わたくしの運命もそれに関って二・二六事件という未だに隠された部分のある出来事の波を真向から被った。幼友達は死に、父は下獄した」(『人間の触覚』より)。 叛乱将校のなかには父・斎藤瀏陸軍少将のもとに出入りしていた青年将校たちもあり、史との友情関係にあるものも多くいた。とくに栗原安秀との関には兄妹愛を越えた感情があったようだ。時が経てばこの辺のところはドラマ化される格好の材料になるだろう。この事件を通して、彼女を襲った悲しみや悔しさが、その生涯を貫いているのが斎藤史の短歌なのだ。以下の短歌は事件を意識せずにはいられぬ作品である。
・羊歯(しだ)の林に友ら倒れて幾世経ぬ視界を覆ふしだの葉の色
・春を断(き)る白い弾道に飛び乗って手など振ったがつひにかへらぬ
・濁流だ濁流だと叫び流れゆく末は泥土か夜明けか知らぬ
・弾痕がつらぬきし一冊の絵本ありねむらとしてしばしば開く
・死刑場に友ら歩みし七月来てわが発射する黒揚羽蝶
・銃殺の音ならねども野の上に威銃ひびけば眼の前くらむ
・年月を逆撫でゆけば足とどまるかの処刑死の繋ぎ柱に
昭和11年7月12日、午前5時40分十五名に「本日刑を執行する」ことが言い渡された。「霊魂永遠に存す。栗原死すとも維新は死せず 天皇陛下万歳」が、栗原安秀の最期のことばである。
軍国主義という名のもとで多くの若者が翻弄され苦悩した時代であったと雪ではなく暖かい雨が降っている今日の日に想いを馳せた。
―今日のわが愛誦短歌
・春鳥はまばゆきばかり鳴きをれど
われの悲しみ渾沌(こんとん)として
前川佐美雄
―今日のわが駄句
・土耳古青いろの眼の猫恋成就

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