五月晴(さつきばれ)があれば、五月雨(さみだれ)があり、今日は朝から五月闇(さつきやみ)の厚い雲に覆われているわが街である。
金子兜太の
銀行員等朝より蛍光す烏賊のごとくは今でこそ、前衛俳句の古典になってしまったが、発表された昭和36年(1961)は丁度、60年安保が渦巻いた直後の挫折感が充満していた社会情勢下にあった。日本銀行のエリート行員でもあった金子兜太にさえ憂鬱な精神状態が支配していたのだろう。当時の社会情勢を背景に生まれた前衛的な俳句であった。虚子をはじめとして、蛇笏、秋桜子、草田男、草城、など昭和俳壇に君臨した錚々たる面々がまだ活躍していた頃である。岸上大作ら多くの歌友を失い短歌を棄て、俳句に首を突っ込もうとして秋桜子主宰の『馬酔木』を取り寄せて自然界に潤いを求めようと試行錯誤していた頃で、この俳句に接して、異様な戦慄が走ったものだ。そして、都会のなかにもかかる風景があるのかと、彼の俳句を今も注視している。
その夜は雨が、泣くやうに降ってゐました。
瓦はバリバリ、煎餅かなんぞのやうに、
割れ易いものの音を立ててゐました。
梅の樹に溜まった雨滴は、風が襲ふと、
他の樹々よりも荒っぽい音で、
庭土の上に落ちてゐました。
コーヒーに少し砂糖を多い目に入れ、
ゆっくりと掻き混ぜて、さてと私は飲むのでありました。
と、そのやうな一夜が在ったといふこと、
明らかにそれは私の境涯の或る一頁であり、
それを記憶するのはただこの私だけであり、
その私も、やがては死んでゆくといふこと、
それは分り切ったことながら、また驚くべきことであり、
而も驚いたって何の足しにもならぬといふこと・・・
―雨は、泣くやうに降ってゐました。
梅の樹に溜まった雨滴は、他の樹々に溜まったのよりも、
風が吹くたび、荒っぽい音を立てて落ちてゐました。
中原中也の「一夜分の歴史」という詩である。死後の昭和12年12月に「文芸」という雑誌に遺稿として載せられたものである。自分にとってはとても重大な記憶なのに、その記憶を持っている自分がいつか死ぬであろう。そうなるとその重大なことは世の中から消えてしまうのだから驚きである。しかし、だからといって世の中にそれが果たして重大であるかというと否である。しかし自分にとっては重大な記憶なのに、というようなことであろうが雨というものはそのような思いを抱かせてしまうようだ。
近畿地方は一昨日入梅した。去年より18日、平均より12日も早い梅雨入りだったそうだ。終日、五月闇を思わせる厚い雲に覆われた街を眺めていると、商店街の蛍光灯が烏賊のごとく点る情景に、都会のもつ孤独が見えて、舗道を歩く人の哀歓が伝わってくる。
―今日のわが愛誦句
・
五月闇汽罐車一台ゆくごとし 山口誓子
―今日のわが駄作詠草
・ずぶ濡れのなかで蠢く思惟のあり
癒やしの雨は泪にも似て


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