目的があって寄ったのではない。他に行くところがあって通りがかりに目についたのが「久保惣記念美術館」である。人には衣食足って礼節を知るという教えがある。久保家は、泉州地方の農家が栽培した棉(わた)を原料とした手織り白木綿の生産に、綿糸を購入して機械機(はた)による近代化に成功して、従来の家内手工業から脱皮させ、成功させた、泉州地方の綿織物業の典型的な成功者である。しかし、昭和後期からの急激な繊維産業の構造変化に応じきれずに失速してしまう。そうしたなかで代々の経営者が、企業の利益を注ぎ込んで蒐集した超一級の美術品は「久保惣記念」のコレクションとして保存されることになった。その東洋美術の粋が、こんな片田舎に燦然と屹立していることは驚きである。以前から周知していたのだが、交通アクセスの関係で近付き難い立地にあるため、今まで訪れる機会がないままに、時が過ぎていた。
珍を識る者は必ず濁水の明珠を拾う。気を賞する者は必ず穢薮(わいそう)の芳薫(ほうけい)を採ると葛 洪(かつ こう、283年ー 343年は、西晋・東晋朝中国の道教研究家・著述家)の『抱朴子』に述べられているように、そのコレクションの良質さに一驚させられる。すなわち、鑑識眼のある者は、濁った水のなかからでも美しい珠を拾えるし、穢い薮のなかからでも香りのよい草をとることができるという意味で、本当の実力のある者は、環境や条件の悪さをそのせいにしない、ということなのであろう。久保惣は倒産したのだが、その美術品を処分すれば会社は残ることが出来たのであろうが、あえて、実を捨てて名を残したのである。惜しみなく巨財を注ぎ込んだであろう蒐集品を観て「久保惣記念美術館」としてその名を残したのは、個人の満足のための蓄財ではなく、万人のための散財であったのだ。
圧巻は青銅器(せいどうき)群である。青銅で作成した工芸品の多様な展示がある。主に青銅器が出現してから鉄器が出現する直前までを青銅器時代と呼ばれている古代中国の、夏・殷・周・漢時代に作成されたものが並ぶ。どんな用途で作られたのか、現代人には想像できない奇抜な作品の数々に想像を巡らしながら館内をゆっくり観て歩く。人間と自然。人間と人間の係わりのなかから産まれた創作であろう。棄てられるべきものは棄てられ、残されたものが眼前にある。その歴史の常なるものに思いをめぐらせながら、現実に起こっている日本の将来のことを考えたりする。
猛暑のなかで家庭で節電対策に喘いでいるよりも、空調の快適な美術館などに行って時間を費やすのも有効な節電対策なのではと、発言した女性知事の言質が理解できる。緑に覆われた広大な庭園もまた格好の涼感を満喫することができて、連日35度を超える高温多湿を忘れさせてくれた。
―今日のわが愛誦句
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汗ばみて余命を量りゐたらずや 石田波郷
―今日のわが駄作詠草
・天に唾吐かむと天を仰げども
空しと解り俯きにけり

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