夏越祓(なごしのはらえ)。たとえば、夏の蠅の散り乱れたるように、あしき神のあるなり。これを祓へなごむとて、六月祓はするなり。と平安時代に書かれた『清輔奥義抄にある。また、『備後国風土記』によれば、「北海の武塔(むとう)神が南海の神の娘を婚(よばい)に出かけたところ、日が暮れてしまった。そこに蘇民将来と巨旦(こたん)将来という兄弟があって、兄の蘇民は貧乏だったが、弟の巨旦は大金持ちであった。武塔神は巨旦に宿を借りようしたが拒絶され、兄の蘇民の家に泊まった。蘇民は粟殼で座席を作り、粟飯を炊いてご馳走した。それから何年か経って武塔神は八柱の子神を連れてやって来て、蘇民のために報恩しようと告げ、蘇民と妻と娘とに茅の輪を腰につけていよと命じておき、その夜この三人を除いて巨旦らを皆殺しにしてしまった。そして、武塔神は[われは速須佐能雄(はやすさのお)の神なり。後の世に疫気(えやみ)あらば、汝(いまし)蘇民将来の子孫と云ひて、茅の輪を腰の上に着けよ。詔(みこと)のまにま、着けしめば、やがて家なる人は免れなむ]と告げた。」とある。大祓いの茅の輪を用いるのは平安以降に見られる行事であり、宮中では、茅の輪を置いて左足から入り右足から出ることを三度繰り返し、
水無月の夏越の祓する人はちとせの命延ぶといふなりと唱えたいう記録が残っている。

住吉大社
6月30日。大阪で最初の夏まつりは、四天王寺勝鬘院の「愛染さん」である。地元では通称、「大江の坂」と呼ばれている「愛染坂」を上れば、今年選ばれた愛染娘を乗せた宝恵駕籠(ほえかご)道中の掛け声が賑やかに流れてきた。その前に、大江神社境内に設(しつら)えた茅の輪を潜りに行く。4時に宮司の先導で六月祓(みなつきはらえ)の神事があるという。側にいた中年の女性からこれはどういう行事なのですかと問われる。大概説明したら、先導してくれと頼まれたのだが、いう通りに左足から入り右足から八の字を描きながら三度まわりなさいと教えると、素直に試みていたので愛染堂の声の方に足を延ばす。

大江神社の茅の輪
「愛染明王」は八大明王の一つで、インドの神で人間の愛欲を神格化したものという。愛染の名称は、愛は定(じょう)で女、染は恵で男、女は男を愛し、男は女に染着するとの伝えがある。ために俗信として、愛敬和合が中心本誓であるとして愛敬の神としてまつられているという。雨まつりと言われ、必ずこのまつりには雨が降るということになっているのだが、まだ大阪では梅雨明けが宣言されていない。どうやら雨がない、うだるような暑さに見舞われており、熱中症を警戒して早々に退散する。蛇足だが、7月16日の大江神社の夏祭りのあとに梅雨が明けて、大阪市内では夏本番を迎えるというのが通説ではあるのだが・・・。
―今日のわが愛誦句
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夏雲の壮子時(さかり)なるを見て泪(なみだ)す山口誓子
―今日のわが駄作詠草
・愛染かつら木に巻きつきて美しく
夏越の茅の輪くぐれば夏よ

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