江戸時代大阪にも面白い俳人(当時は俳諧師といわれていた)がいた。大伴大江丸(おおともおおえまる1722−1805)。飛脚問屋(今なら運送屋)を家業として、自身も九歳の時から家業である飛脚を手伝いながら、60年間に東海道を70数回往復したという経験の持ち主である。今ならば、一日で往復することが可能なことなのだが、この当時は2ヵ月近くを要する江戸への行程で、その間に道中で出会った俳人や絵師などとの交際が生まれたのであろうことが想像できる。
秋来(き)ぬと目にさや豆(まめ)のふとりかなこの句で思い浮かぶのが『古今和歌集』にある
秋来ぬと目にはさやかに見えねども風のおとにぞおどろかれぬるの著名な和歌を本歌取りしていることがわかる。「さやか」にかけた「さや豆」。「ふとりかな」で「風だけではない、さや豆もふくらんできて、ここにも秋の訪れを感じることができるよ」という句に巧く転じている。和歌とは違う俳句の持ち味の一つである、おかし味(おもしろ味)を引き出している。そういえば、大伴大江丸の雅号(ニックネーム)ではあるが、大伴は萬葉集編者の大伴家持(おおとものやかもち718?−785)、大江丸は丹後の大江山にある伝説の酒呑童子(しゅてんどうじ)を意識したのではと考えられそうなのだが、案外、大伴の浦と言われた大阪湾の近くに住んでいた手前この名を思いついたのかも知れない。
彼の墓所は、天王寺区生玉寺町にあり、偶然にもわが家の菩提寺の斜交(はすか)いの浄土宗「圓通寺」にあるのだが、門前に「俳匠大江丸墓所」と昭和時代、彼の信奉者が建てたのであろう石碑が見える。紅い土塀に異風を感じるお寺である。その寺の内にある墓群のなかに本名の「安井家」の墓標を見つけ出す。
名月や月の名所は月にありの諧謔にとんだ句を思い出している。大伴大江丸らしいパロディ−の世界が感じられるようだ。
―今日のわが愛誦句
・
ちぎりきなかたみに渋き柿二つ 大江丸
―今日のわが駄作詠草
・夏去るとたちまち秋は来ざるなり
気付けばひとり浅き夢見し

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