江戸前期の俳人、貞室(1610−1673)の句に
十ばかり飼うてこそ聞け虫の声というのがある。考えてみると貞室の時代は、現代のような喧騒に取り囲まれていて、虫の声に風流を求め、心を癒やそうというのとは違う、自然がいっぱいあって、逆に虫の声が喧しいことであったろう。そのようななかで詠まれた句であることを思うと、皮肉にも取れる、風流へのあてこすりであるような捉え方にもなる。
娘が、7月初めに分けてくれた五匹ばかりの「スズムシ」が鳴き出した。『枕草子』に「蟲は 鈴蟲。松蟲。促織(はたおり)。蟋蟀(きりぎりす)。蝶。われから。蜉蝣 螢。」とあるように、平安の昔から「スズムシ」は愛でられていたようである。
川端康成が昭和10年(1935)に発表した短編に『童謡』という作品がある。千葉県の兵隊町(舟橋)で、8月末のある日、芸者と画家と将校たちの繰り広げる物語である。海の見える料亭に、半玉(はんぎょく。まだ一人前でなく、 玉代<ぎょくだい>が半分の芸者。おしゃく)から一本になったばかりの金弥という芸者が、瀧野という画家に招かれる。8月末でもまだ蚊帳(かや)のいる季節である。
金弥は網ばりの障子につかまって立ちながら、『鉦叩(かねたた)きね』『え?』『虫よ』 一面に鳴きしきる、こおろぎやくつわ虫の声の底に、なるほど寂しい鉦を叩くような音が微かに聞こえる。蚊帳のなかからみていると、次の間で身についたものをひとつひとつにたたむ、しぐさや姿が、すっかりこういう場合のこういう女になっているので、僅か三月足らずの間にと、瀧野は不思議な気がした女になった金弥の、なんともいえない初々しい色気が、虫の音の寂しさの中にただよわせた川端文学らしい美意識がにじみ出ている。
さて、千葉県船橋といえば、今日、第95代内閣総理大臣に指名された野田佳彦氏の出身地である。これから始まる野田内閣をノーサイドから選ぶ手腕がみものである。政界のドロドロしたなかを遊泳して行くのは並大抵のことではない。自身を「ドジョウ」にたとえて、大衆受けする親しみを持とうとしている。『童謡』ではないが、舟橋の土地を想像しながら、ドジョウが金魚になる政治を期待したい。
―今日のわが愛誦句
・
飯買ひにどこまで行こぞ虫の声 幸田露伴
―今日のわが駄作詠草
・寂しさのはてに鳴きつぐ虫聞きつ
泥鰌が金魚に化けて寝ている

76