台風などの影響があって、このところ天気の定まらない日が続いていた。きょうが秋の彼岸の中日だという実感が湧いてこなかったのだが、ようやく好天にめぐまれて、
雲流れ流れ消えけり秋の空と松根東洋城が詠んだ天高しの秋空を感謝しながらお寺参りを決め込む。
京都府亀岡市の郊外の西国三十三ヶ所第21番札所である「穴太(あのう)寺」を目差す。この観音霊場のある山里に行くためには摂丹街道を進むことになる。天正10年(1582)6月中頃、明智光秀が主君の織田信長に羽柴秀吉の中国攻めの援軍に行くことを命ぜられて丹波亀山を出発した道である。が、法貴谷というところで光秀は、急遽、信長のいる本能寺へとその矛先を変えることを決意。その後戻りした地点に大きな岩が残っている。「明智戻り岩」と言われていて、「南無妙法蓮華経」などの文字が刻まれている場所がある。現在もひっ切りなしに車の往来が絶えない「老いの坂」へと続く要路である。
穴太寺はその道を外れた田園のなかに建っている古刹である。見渡す限り黄金の稲穂が垂れた田中を進んで行くと、「ひがん花の里」の立て看板が目に付く。
よく見れば、田の畔道に真っ赤な曼珠沙華が咲き乱れているではないか。その赤い花が、稲の黄金色に映えて絶妙のコントラストで、はるかに望まれる穴太寺の伽藍の古色にマッチしていた。のどかな何処か懐かしい風景に癒やされる。
しかし、明智光秀のことを思い、この曼珠沙華を見ていると、何故か妖しい思いが脳裡を過(よぎ)る。法華経の
摩訶曼陀羅華曼珠沙華(まかまんだらげまんじゅしゃげ)からの出典であるといわれているこの曼珠沙華の名ではあるが、シビトバナ、ジゴクバナ、キツネノタイマツ、キツネノシリヌグイ、ステゴノハナ、ユウレイバナ、テクサリバナなどの呼称があると『重修本草綱目啓蒙』に日本各地にある名前を列挙しているように陰気、怖れ、嫌悪、不吉、それに、有毒草ということもあり、日本人にはその毒々しさを感じる赤の色は敬遠されてきたところがあった。秋の彼岸ころ咲くので彼岸花(ひがんばな)の名称もよく知られていて仏臭い花でもある。でも、いま咲く鮮烈な赤は、どんな花よりも美しく野に咲いている。一眼レフを手に畦道を歩く団塊の世代とおぼしき夫婦、腰の曲がった老女、若者、誰もが只その美しさに魅せられて棄て難い秋の風景をカメラに収めていた。
―今日のわが愛誦句
・
仏より痩せて哀れや曼珠沙華 夏目漱石
―今日のわが駄作詠草
・一合の酒に酔ひいて野のはての
光秀の夢の曼珠沙華咲く

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