承前。北陸自動車道敦賀ICから美浜に出る。ダイヤ浜、水晶浜と夏ならば海水浴客で賑わう海岸沿いを抜けると、左側前方に関西電力美浜原子力発電所の円筒形の建屋が望まれる。先日、小浜の大飯、高浜の原子炉を訪れたときにも感じたのだが、冬、雪の深さに閉ざされるこの日本海が、夏は一転して、若者たちの楽園に変貌する、山紫水明の地であるということである。この時期は訪れる人も少なく、一気に美浜原子力PRセンターに着くことが出来た。ここからは、高速増殖炉「もんじゅ」の施設が指呼の間の場所にある。「もんじゅ」を見学するには、一週間前の予約が要するということで、またの機会を待つことになる。

関西電力美浜原子力発電所
美浜(みはま)。何と美しい名が付いた浜であろうか。これだけでも白砂青松(はくさせいしょう)の美しい汀が想像できる。万葉集にも
「若狭なる三方の海の浜清みい往き還らひ見れど飽かぬかも」 という歌が残されているように、古くからその美しさが知られていたようだ。しかし、20世紀に入って、この地域は忽然と封印されてしまった。日本帝国海軍の軍事基地としての立入を禁じられ、地図の上でも空白部分が作られ、山の高さすら不明という厚いベールに包み隠されてしまった。そんな苦難を支えたのは「西田梅」の栽培であった。春になれば梅の花咲き乱れる里が対外から軍事基地の存在がない桃源郷としてカムフラジューされていたのだろうか。いま原子力発電施設がある敦賀半島を下り梅街道と呼ばれる道を通り、その沿道に続く梅の古木の列を眺めて行くと、秘められたこの地域の不幸な歴史があったことを思う。

美浜原子力PRセンターの横の原発への入り口
レインボーラインをのぼれば、標高397メートルの梅丈岳(ばいじょうだけ)山頂から三方五湖の絶景を一望できる。調べれば三方五湖は五つの湖で構成されていて、五つの湖はすべてつながっている状態である。湖の構成を以下に示すと、名称 読み 湖沼型 淡・汽・海 面積(km2) 深度(m) 周囲(km) 備考 の順に、
1 三方湖 (みかたこ) 富栄養湖 淡水 3.56、 5.8、 9.60 南北約1.5km、東西約3km、湖面の海抜0m
2 水月湖( すいげつこ) 富栄養湖 汽水 4.16、 3.4、 10.80 五湖中最大の面積
3 菅湖 (すがこ) 富栄養湖 汽水 0.91 、13.0、 4.20
4 久々子湖 (くぐしこ) 富栄養湖 汽水 1.40 、2.5、 7.10
5 日向湖 (ひるがこ) 貧栄養湖 海水 0.92 、38.5、 4.00 出典では淡水と表記されている。とある。日本海から続く秋の陽光にかがやいている鏡のような五つの湖のそれぞれが異なる色に変化している様を見比べる。山奥にある湖沼なら昔からある伝説にこと欠かないのだが、この海辺の三方五湖には、つい最近までの伝説がひそかに語り継がれているという。昭和20年(1945)8月15日の終戦で、それまで舞鶴の軍港から秘かに50隻余りの軍艦が此処に隠されていたのだが、その船影がすべて湖底に沈められたという。爆破ではなく石を詰め込んで沈没させたということになっている。それを確認しようとする試みもあったのだが、メタンガスが発生して、ダイバーを入れても引揚げ作業は不可能であるという。湖底にそんな過去の悲話を秘めて大日本海軍の歴史も伝説化しようとしている。レインボーラインを下り、再び「梅街道」を駆け抜けて現代の伝説の秘境の地をあとにする。

三方五湖レインボーラインより
―今日のわが愛誦句
・
この谷を一人守れる案山子(かかし)かな 高浜虚子
―今日のわが駄作詠草
・湖(うみ)の色みな異なりて珍奇なり
三方五湖は秋景色なり

三方五湖

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