今年も秋の香りが送られてきた。山梨県の笛吹川近郊に在住の作家藤原緋沙子さんからである。彼女の学友である娘との縁ということであるが、もう十数年続くささやかな交際である。いまでは時代物の人気流行作家ではあるが、作家になる以前は脚本家として、古くは「部長刑事」などの人気テレビ番組などを手掛けて居られた。「長七郎江戸日記」「はぐれ刑事純情派シリーズ」「京都妖怪地図帖」などは、どこかで見かけられたことがあるだろう人気テレビ番組であった。たまたま娘が立命館大学で日本文化史を勉強しているときに、近世史を学ぶために入学してきた彼女と気が通じてそれ以来の交際が卒業後も続いている。その時の教養を基に作家に転向され、「隅田川御用帖シリーズ」―『雁の宿』(2002)『雪見船』(2006)『日の名残り』(2008)。「橋廻り同心、平七郎控シリーズ」―『雪舞い』(2004)『恋椿』(2004)。「藍染袴お匙帖シリーズ」―『風光る』(2005)『雁渡し』(2005)『漁り火』(2008)。「見届け人秋月伊織事件シリーズ」―『遠花火』(2005)『霧の路』(2009)。「浄瑠璃長屋春秋記シリーズ」―『照り柿』(2005)『紅梅』(2008)。「片桐弦一郎控」―『白い霧』(2006)『密命』(2010)。など各出版社から引っ張りだこの人気状態が続いていて、一時、その心労で執筆を中断する事態があったが、いまは体調も恢復され、活動を再開されているのはうれしいことである。
その藤原緋沙子さんからの贈り物に添えられて、『小説新潮』10月号―秋の時代小説特集号が送られてきた。新刊刊行の都度、贈って下さった本も既に数十冊を数えている。『冬椿』と題する短編だが、彼女特有の繊細な情愛が美しい日本語で綴られている。早速、拝読させてもらう。その冒頭の文章を紹介すると、
「おしな、おしなじゃねえか」呉服問屋『大黒屋』をでて数歩大通りを北に向かって歩いたところで、おしなは後ろから声を掛けられた。おしなは、ぎょっとして立ち止まった。抱えている風呂敷包みに力が入る。振り向かなくても声の主は分かっていた。二年前に飛びだしてきた家の主で名は宗助(そうすけ)、おしなの夫の声だった。おしなは、振り向かずに足を踏み出した。咄嗟(とっさ)に聞こえぬふりをしようとおもったのだ。だが、「おい、待て、待たねえか!」声は執拗に追っかけて来て、おしなの前に回って行く手を遮(さえぎ)った。「とうとう見付けたぞ、おしな、もう逃がさねえ」血走った目が、おしなを睨んだ。そのおしなを強引に腕をひっぱって連れ戻そうとする宗助。そこにおしなが世話になっている小間物問屋の『越後屋』に出入りする貸本屋の半次郎が通りがかる。「この女は俺の女房なんだ、ほっといてくれ」と宗助は半次郎をふり払う。だが、半次郎には敵わずと、宗助はその場を立ち去る。半次郎は目鼻立ちが整った色白の男で、おしなが心をときめかしている男であった。そして、半次郎は「一度でいいから、おしなさんとじっくり話がしてみたい、ずっとそう思いながらきり出せずにきたんだ」と言って、不忍池の弁天島にある蓮飯が名物の茶屋に誘う。そして、半次郎との関係をもつのだが、半次郎は、おしなの袋物の内職で貯め込んだ15両を寸借してしまう。そして、半次郎から捨てられた料理屋の女の浮名話がおしなの耳に入ったのだが、それでもおしなが半次郎のことを思い切れなかったのは、半次郎に抱かれた余韻の深さ、いや、そうではなく、他の女には負けたくないという意地があったのかもしれない。そして、隅田川の対岸に住む宗助のところには戻らないと、心に誓い離縁を申し出に行く・・・。情感あふれる江戸情緒のなかで織りなす人間模様が現代人にも伝わってくる。
蓮の香りのする蓮ごま豆腐、笹ガレイの干物に香の物、とろろ入りの蓮の香りのする吸い物、餅米を蓮の葉に包んで蒸した蓮飯など、これは池波正太郎の世界ではあるが、さらりと採り入れたところに作者の博識を窺うことができる。
渋柿の照りてお江戸の暮れを知る 時代小説の世界にもこの複雑怪奇な現代社会に潤いを齎せてくれる。読後の爽快感があった。
―今日のわが愛誦句
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籠りいて木の実草の実拾はばや 芭蕉
―今日のわが駄作詠草
・尾花吹く風野を駆けて抜けて行く
江戸の世界がふと過ぎるとき

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