いつはとは時は分かねど秋の夜ぞもの思ふことの限りなきかな『古今集』秋上にある秋の夜の風情である。イランの数学者で天文学者で詩人のオマル・ハイヤーム(1048−1122)の『ルパイヤート』に
「酒をのめ、こう悲しみの多い人生は眠るか酔うかしてすごしたがよかろう!」というフレーズが目にとまった。成る程ご無理ご尤もの酒飲みのエゴイズムなのであろうが、
「酒三杯は身の薬」「酒は三献に限る」要するに四杯目からは慎めという教訓である。
『口真似(くちまね)』という狂言がある。そのあらすじは、「主人に、もらい物の手に入り難い銘酒があるので、一緒に楽しく飲んでくれる人を探してこいと命じられた太郎冠者が、知り合いの男を連れてくる。その男の顔を一目見た主人は、酒癖が悪いので仲間から敬遠されている者であった。何故、そのような男を連れてきたのかと冠者を叱る。そこで冠者はその男を追い返そうとしたが、主人は仕方なく座敷に上げる。そして、以後は自分のいうとおり、するとおりに振る舞って、余計なことはするなという。ところが面白くない冠者が、主人のいうことをすべて真似して客にくり返すので、話がだんだん混乱してくる。怒った主人は冠者を押し倒し、客に挨拶して引っ込む。起き上がった冠者も客を引きまわして倒し、主人を真似て、倒れている客にうやうやしく挨拶する。」そんな筋書きで酒癖の悪い奴を退散させようと試みるのだが、どっこいその上手をする酒飲み仲間がある。仲間ではない仲間なのだが、どうも腐れ縁の類になっている。乗って来た自転車も着て来た上着も預かって行く(置いて行く)酔えばぐい呑みの猪口をバリバリ食べてしまう特技?の持ち主があった。翌日、彼は必ずそれを引揚げにきたとき、天王寺の甘納豆を寸志のつもりで真面目な顔をして、照れくさそうに持ってくる。酒飲みが甘納豆とは、恐らくは自責の念を込めてのことなのであろう。そんな朴訥さが憎めぬ酒飲みもいた。
「酒と女と歌を愛さぬものは一生の間、バカのまま」ドイツの宗教改革者マルチン・ルター(1483−1546)のことばを思い出す。彼は、ローマを旅行したとき、イタリヤ・ルネッサンスの享楽的な状況を見て、精神的な危機感を味わい、同時に教会の頽廃にこころを痛め、発心して修道院に入り、過酷なほど自己鍛錬に努める。が、人間性を不当に抑圧するものに対して、不正と不義を憎むことと同程度の反発を感じ、人間解放のこころとかたく結びついたのが、彼の宗教改革への悲願であったと言われる。そして、キリストや聖書の精神を、人間の作為的な解釈から、自然の理解へかえそうとするこころの叫びにほかならなかったことを悟る。酒・歌・女を愛せぬものが、どうして神を愛することがあろうか。という結論を得る。そして、最後に「しかもぼくらはバカではない」と結んでいる。

狂言『口真似』
浄土真宗の祖、親鸞上人(1173−1262)は肉食妻帯を許し、悪人もまた平等に浄土に回帰できる教義で、自然への人間性の解放に導いた宗教家である、洋の東西を問わず、人間が喜びを感じて生活できることは、有難きことではある。
―今日のわが愛誦句
・
秋風やひとさし指は誰の墓 寺山修司
―今日の駄作詠草
・明日は晴はたまた雨か秋の風
土曜日の午後吹きぬけていく
まことに知んぬ。かなしきかな愚禿鸞(ぐとくらん)、
愛欲の広海(こうかい)に沈没(ちんもつ)し、
名利(みょうり)の太山(たいぜん)に迷惑して、
定聚(じょうじゅ)の数に入ることを喜ばず、
真証(しんしょう)の証(さとり)に近づくことを
快(たの)しまざることを 聡づべし傷(いた)むべしと

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