正月の25日は、天満宮の初縁日である。大寒の最中ではあるが、菅原道真(845−903)に所縁の福岡の太宰府、京都の北野、大阪の天満、東京の亀戸など各地の天満宮は、参詣者で賑わうと聞いている。ずっと大阪に住んでいるのだが、初詣、夏祭には出掛けるが、初天神には初めての参詣である。文献によれば、大阪の天満宮では、昔は、駕籠衣装に着飾った北新地の芸妓が宝恵籠に乗って、派手なねり込みを行っていたらしい。社務所ではこの日、雷除けの守りを出す。菅原道真は藤原時平の讒言(ざんげん)により太宰府に左遷されて憤死。その霊が雷となって朝廷を悩まし、ために北野天満宮に祀られたとの伝説を持つ。
さて、天満の天神さんの境内にたどりついて参拝を終えたところ、背後より声をかける者があった。振り返ると、過日、今宮戎神社の十日戎の折、参道で吉野のコンニャク田楽を売っていたご仁である。嫌な予感がしたが、話をすると、社殿の横で出店を張っていたのだ。こんな場所がよくあったなと、つい所場(しょば)代のことを聞くと3000円とのこと。場所が悪いえべっさんのしょば代より十分の一の破格値である。なかなかの商売感覚の持ち主と見る。嘉永6年発刊の
『守貞漫稿』にある
「初天神。大阪天満天神に群参すること、十日戎に次ぐ。南方の娼妓は、十日に籠に乗り戎に詣するを晴れとし、これに倣ひて曽根崎の妓婦は、二十四五日天神に詣するに駕に乗る」とあるごとく江戸時代から、盛大な賑わいが見られた様子が窺われるが、今、此処で見ている限りにおいては、十日戎の賑わいと比較できない寂しさであると見受ける。彼の店を覘くと、「合格善哉」と墨痕鮮やかな達筆が目に留まる。受験生が合格祈願に訪れるシーズンである。この墨痕鮮やかな達筆を観て、能筆家といわれた菅公にあやかろうとする受験生のこころにとまる好い発想だと、その商魂を褒めて置く。
その筋向かいで売っている大阪天満宮「福梅講」の奉仕であろうか、売られている「天神筆」を一本買う。それに付いている「おみくじ」を引くと、第十六番吉と出て、
【渡りに船を得たるがごとし】とあり「正道を歩めば、目上の人の引き立てにより、高い評価を得ることができる。」と、吉方は東北、探し物は、よく探せば見つかる。願い事は、努力すれば神様のお陰で成果あり。とある。
「人となり雷となり神となり」と、天神さんは、菅原道真公を神として祭ったものである。素直に信じよう。
初天神を「うそかえ祭」という。境内で木、土で造った鷽(うそ)鳥のお守りを売っていたので求める。以前に詣でた太宰府の天満宮のものは、もう少し大きかったが、此処のは、小ぶりでかわいい鷽で、くびからほほへかけて美しい紅色、背と腹の羽はねずみ色、頭と尾が黒い小鳥で、きれいな声で鳴くというイメージがある。
『道明寺天満宮略記』には、
「菅公筑紫へ下向の翌年、延喜2年1月7日、悪魔祓いの儀式をせられた時、寒中であるのに無数の蜂がでて、参拝の人たちをさし悩ましたのである。折しも一むれのうそ鳥が飛来してたちまち蜂を食いつくし、人々の危難を救ったので、かような鳥の利益を与えるのは、ひとえに菅公の御神徳のあらわれであると信じて、以後、この神事をうそかえ祭ととなえ・・・」と記されている。木で土で造ったうその模型をお互いに交替するのである。いろいろな伝説が残る天神さんであるが、昨今では、受験合格祈願の神として大もての神様になっている。合格祈願に来ている受験生のすがたを見ていると、それぞれが持つ人生の時間での真摯な一端を垣間見ることができる。
―今日のわが愛誦句
・
もの学ぶ冷たき頭つめたき手 阿波野青畝
―今日のわが駄作詠草
・春を待つこころはくらく飛ぶ鳥の
あと追うように海に消えにき

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