用事があって外に出ると思わず首をすぼめたくなる寒気が襲ってくる。大阪市内中心部に住む者には辛い冷え込みである。薄日が射すのに粉雪が舞っている。いわゆる風花(かざはな)と呼ばれている現象である。遠くの山で雪が降っているのだろう。その雪が上層の風に乗って風下まで飛んで来ているのであろう。
おほづれに寒念仏の優婆夷かな 阿波野青畝
暫く歩くと、団扇太鼓を叩いた寒中修行の一団とすれ違う。昔はよく遭遇した光景であったが現在では珍しい。「おほづれ」とは、大勢の集団ということであろう。また、「優婆夷」とは、仏教徒のなかで、在家の信者は、男性は優婆塞(うばそく、upāsaka)、女性は優婆夷( うばい、upāsikā)と呼ばれる。いま出合った優婆塞、優婆夷の一行のすがたは、阿波野青畝が詠んだ「おほづれ」の情景ではない。三、四人の一行である。それでも志を同じくする、求道者のすがたは寒風吹き荒ぶなかで美しくかがやいているように感じられる。
陋巷を好ませたまひ本戎
今宮戎神社境内に建つ青畝の句碑がある。このことについては知人もブログで触れておられるのだが、たまたま所用で社務所に立ち寄ったので少しだけ蘊蓄?を。陋(ろう)巷とは、
「狭くきたない路地。貧しくむさくるしい裏町」 と、
『岩波国語辞典』にある。戦後、現在の阪神高速道路環状線は川を埋め立てた上に敷設された。それまでは、陋巷といわれても仕方がないような貧民住宅が神社の周辺を取り巻いていた。その狭隘な密集地帯から駆り出された地元住民の協力なくしては、十日戎の祭礼は成り立たなかったであろう時期があった。日本は敗戦による苦難に喘いていた時代のことである。青畝の句は、冷静に雑踏の本戎を尻目に静まりかえる路地裏と対比して詠まれたのであろう。陋巷と青畝が詠んだ地域はいまはすっかり様変わりした街に変貌してしまった。しかし、その寒い街中の寒行者の太鼓の響きは、微かに陋巷の街があったころを彷彿させる。
―今日のわが愛誦句
・
冬の夜や古き仏を先ず焚かむ 蕪村
―今日のわが駄作詠草
・暗き夢みし酔い覚めしあかときよ
あはれ一陣の隙間風吹く

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