在阪の華僑の人たちが旧正月を祝う春節祭が、例年通り催されている。第12回目ということで、初回から知っている者には板について来ているようで、日中以外の人たちの顔が見受けられ国際的にもなって行く予兆が感じられる。ナンバの「大阪中華学校」が会場ということで、近くに住む手前、毎年、中華の雰囲気を愉しむために足を運んでいる。今年の春節祭は、昨年より早めに1月の最終の日曜日にされているのだなと思いながら、ふと一昨年は2月14日のメモがあるので少々疑問があったので調べると、年によって日にちが異なることを知った。実は今年の春節は1月23日で、すでに元旦は終わっていることが判明した。尚、来年は2月10日、再来年は1月31日、そして、三来年の2015年は2月19日となっていて、複雑怪奇な決りの世界があることを知った。
その由来を調べると、中国人が 旧暦の正月を祝う風習は、文献では四千年以前にさかのぼることが出来るらしい。中国古代の王、舜が、天を祭祀したことが春節の起源とされるらしいのだが、前漢武帝の時代以前は元旦の日付がまちまちで統一されていなかったことが春節の日付けに混乱が生じたのだろう。すなわち、夏代は夏暦の元月を正月としていた。次の殷代になると夏暦の十二月を正月とし、周代になると十一月を正月、秦代では十月を瑞月(始皇帝の嬴政の名諱により同音の「正」を「瑞」に改めた)とした。そして、前漢の武帝の代に行われた太初改暦の際に夏暦の元月を正月に定められ、それは清滅亡まで続いていた。治乱興亡の歴史を繰り返していた歴代王朝の置き土産であったのだ。辛亥革命(1912)で清王朝が滅亡後、君主制が廃止され、共和制国家である中華民国が成立した。そして、西洋諸国と同じグレゴリオ暦が採用され、1912年1月1日を民国元年1月1日とする暦法が採用された。その後の国共内戦を経て中華人民共和国が成立する直前の1949年9月27日、中国人民政治協商会議第一次全体会議において、新中国成立の際にはグレゴリオ暦を採用することが決定され、新暦の1月1日を元旦、旧暦の正月初一を春節とすることが決定され現在に至っている。
辛亥革命のスローガンは「駆除韃虜、恢復中華、建立民国、平均地権(打倒清朝、回復中華、樹立民国、地権平等)ということである。
特設舞台上で繰り広げられる中華伝統芸、変面ショー、二胡演奏、獅子舞、民族舞踊、中華歌謡を観覧しながら、肉まん、焼きビーフン、水餃子、ラーメンなどを食べ、中華学校の校庭からはみ出している超満員の人たちの笑顔。民族の輪を越えた楽しい一刻であった。
―今日のわが愛誦句
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もの数奇やむかしの春のままならん 越人
―今日のわが駄作詠草
・変面の眸の底に映りいる
束の間の孤独しずかに追へり


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