経木とは、紙がまだ高価な時代に、その代用として木を削り、そこに書き記録していたものである。ときたま、奈良時代の遺跡から、出土している木簡(もっかん)が、話題になりそこに書かれている文章から当時の様子を知ることができて、歴史解釈に一石を投じている。また、片木(へぎ)といって、木を薄く剥いで、物を包むものとして実用されもしている。趣(おもむき)きのある代物である。
今、そんな経木のことを思い出す。春秋のお彼岸、お盆の折、四天王寺では、その経木に先祖の法名、俗名を書き、亀の井にお流しして先祖を供養する習俗があり、順番を待つのにかなりの時間がかかり、行列ができる。昔は文字が書けない人のために代書する即席の台が連なっていたが、今も筆を使えない人が代書を頼み、昔の名残をとどめている。大阪のひとつの風物詩になっている。
さて、今日の朝日新聞の朝刊に百年以上営業し続けている「百年企業」についての記事があった。面白いので興味を持つ。「百年企業」の多い業種として@清酒製造A酒小売りB呉服・服地小売りC旅館・ホテルD婦人・子供服小売りE貸事務所F酒類卸GガソリンスタンドH木材・竹材卸I木造建築工事、となっている。@ADと酒類関係業種があるのが面白い。やはり、この業界は国策上、規制されていたために長年続いていたのであろうが、規制が緩和されてからは既存のA酒小売り業などは、その衰退は甚だしいことになっているのではなかろうか。
日本最古の企業として、四天王寺の建造・修復にかかわってきた「金剛組」がある。578年、聖徳太子によって百済から招かれた宮大工のひとりが創ったといわれている。いわゆる、出入り業者の特権があったからこそ、千数百年の継続が可能であったのは否むことはできない。が、数年前、倒産の話が新聞紙上を賑わしたが、同業の支援があり、社名は残ることになった。
もちろん、企業存続には、それぞれの企業努力を欠くことはできないのだが、過去に培ってきた人間関係やその文化的遺産がガラガラと崩れ落ちて行く姿をを目の当たりにして哀しく、同情を禁じえない気分があったのだろう。いまも、四天王寺の西にある社屋を眺めて感慨に浸る。
「百年企業」は激動を耐えてきた企業ではあるが、その経験を生かして柔軟な変化が出来るような企業であり続ける姿を見ていたい。
―今日のわが愛誦短歌
・夕暮のにほひするころ仮睡より
醒めしうつつを何は救はん 佐藤佐太郎
―今日のわが駄句
・百年の孤独はありや土筆摘む

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