一月も今日で終わる。三冬(みふゆ)尽きるという語もある。三冬とは初冬、仲冬、季冬ということでそれが終わるということである。
『古今集』に
「明日春立たむとしける日、隣の家の方より風の雪を吹きこしけるを見て、その隣へ詠みてつかはしける」と、前置きして詠んだ、
冬ながら春の隣の近ければ中垣よりぞ花は散りける
『小倉百人一首』に「夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづくに 月宿るらむ」と詠んで名を留めている平安中期の歌人、清原深養父(きよはらのふかやぶ)の待春の気分が伝わってくる。清少納言はこの人の孫であると言われていて、
『枕草子』の冒頭の「春は曙」「夏は夜」「秋は夕暮」そして、「冬は早朝(つとめて)」と平安の昔の四季の景物や情趣などを今に伝えてくれている。
雪や、霜が真っ白く降りた冬の早朝、それがなくても随分寒い早朝に火を急ぎ熾して、各部屋に炭火を持ってまわるのは実に冬の朝らしい光景なのだが、昼になって寒さがだんだん薄らいで暖かくなってゆくと、火鉢の火も、ついほったらかしで灰が白くなっているのは、わろしと、清少納言が評した冬が終ると、
春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、、紫だちたる雲の、細くたなびきたる。 「春は夜明けに限る。ようやく白みつつある山際の空が明るくなって、紫がかった雲が細くたなびいているのが好い。」と、褒めたたえる春がやってくる。ここで書かれている、「やうやう白くなりゆく」の解説を新潮日本古典集成
『枕草子』の萩原朴の校注では、
「日出前(にっしゅつまえ)一時間半ばかりから、月のない暗黒の空もわずかに透明さを加えて濃い縹(はなだ)色となり、更に半透明の縹色から浅縹と変って、日出前三、四十分頃から空は一面に白みはじめる(しろくなりゆく)とともに、高い雲が西の方からトキ色に染まってくる。そのうちに日出前十分ともなると、東の方から透明な淡青の空色となり(あかりて)、青灰色の低い雲が下半面を朱(あけ)に染め分け(紫だちたる)、東の空は強烈な赤蘇芳(すおう)に塗りつぶされたかと思うと、旭日が遠く高い空に光条を放射して、瞬(またた)くうちに日出となる。」と、「やうやう白くなりゆく」時間の経過を色彩の変化で捉えた萩谷朴の
『枕草子』の句読法に司馬遼太郎は驚嘆したとか。冬から春へと移り行くなかで、清少納言の鋭い感性を味わいつつまだ残る寒さを耐えているところである。
―今日のわが愛誦句
・
冬ゆくや手品師の手にみとれつつ 油布五線
―今日のわが駄作詠草
・水ふくむくちびる温くあふれくる
ことばは春の野に放つもの


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