全国的な悪天で、今年の花もこの雨でお終いであろう。終日、蔵書の整理を決め込むことにする。宮崎地方では、一日中を「ひがなひしち」と言うそうで、多分、「日長日一日=ひがなひひとひ」が訛ったのであろうとされているようだ。一般的には「ひがないちにち」というのが昔から使われているようであるが、この言い回しもあまり聞かれなくなったのは寂しいことである。ますます強まる雨脚を怨みながら、外出を諦めて、家に閉じこもることにする。ふと手元に方言資料研究会が編集した
『方言おもしろ事典』(アロー出版社)が目にとまったのでパラパラめくっていたら貧乏に関する方言があった。愛知、岐阜県の一部地域は「貧乏」を「つまらん」と言っているらしい。金さえあれば、生活を愉しむことができるのだが、金欠ではまさに貧乏は「つまらん」ということなのだろう。「つまらん」とは広島県では、「役に立たない」長崎県では「いけない」というそうだが、何の役にも立たないうちに、年を取って「つまる=死ぬ」と茨木県では変化しているようである。
一方、「金持ち」のことを分限者(ぶげんしゃ)というのだが、貧乏人のことは、この「分限者」をもじって「ひげんしゃ」と福岡県では呼んでいるという。「非限者」と駄洒落(だじゃれ)じみた蔑(さげす)みの呼称がされたのだろう。われわれが住む大阪でも、貧者を指して「さぶい」ということばで、大人たちがかって言っていたことを思い出す。確かに、ルンペン、乞食と呼ばれていた貧者が盛り場をうろついて物乞いする姿を冬の寒風にさらしていた光景を見て、「寒い」を大阪訛で「さぶい」という語を彼らに浴びせかけていたことを思い出した。愛知や岐阜県などでも「つまらん」とか宮城県仙台では「ふべん」などとも言われているという。たしかに貧乏人は「寒くて、不便で、つまらない」ものであったのだろう。だれでも「非限者」でなく「分限者」「よかし」(熊本・鹿児島)でいう金持ちになりたいのは望むところであろう。
ゆうべみみずの 泣く声きいた
あれはけらだよ おけらだよ
おけらなぜ泣くあんよがさむい
足袋がないから 泣くんだよ
・・・・・
サトーハチローの詩に三木鶏郎が曲をつけた
『どなたになにを』という福助足袋のコマーシャルソングを何故か思い出した。
俗に一文無しのことをオケラ(おけら)という。その関連語はいっぱいそこら辺に転がっている。曰く、一文無し、柏餅(敷布団、掛け布団がなく一枚の布団を二つに折ってその中に寝ること)、がらんどう、食い上げ、ご褒美(ほめたしるしに与える金銭、品物)、貧乏サラ金、しける、ジリ貧、すかんぴん、つんつるてん、ドヤ街成り下がり、成貧、ネットカフェ難民などなど、こんな隠語を言って掌を合わされ寸借して消えていった手合(てあい)の顔が次々に浮かんで来る。
整理は遅々として捗らず、本を拾い読む悪癖に陥ってしまった。物事に興味あることは良いことなのだが、何も知らぬ間に馬齢を重ねていた怠慢を恥じいるばかりである。
―今日のわが愛誦短歌
・
またひとり顔なき男あらはれて
暗き踊りの輪をひろげゆく 岡野弘彦
―今日のわが駄句
・珍しくルンペン笑う春の闇
少年老い易く学成り難し 一寸の光陰軽んずべからず
未だ覚めず池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢
階前の梧葉(ごよう)已(すで)に秋声

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