一夜明ければ、夜来の雨も上がっていた。空は晴れあがり微風(そよかぜ)が頬をなぜる。
『宇治拾遺物語』にある
「谷の底のかたより、物のそよそよと来る心地のすれば・・・」と、春風が静かに心地よく吹くさまとは裏腹の、何か得体の知れない物が触れ合い、物が動くときに発する音を感じた。案の定、息子の嫁の父親の訃報がもたらされた。
「人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。」 吉田兼好のつぶやきを想い出しながら、予約していた24時間ホルダー心電図の記録装置の装着に出掛ける。服薬、トイレ、バス・電車、歩行、運動、休息、階段昇降、食事、飲酒、起床就寝、仕事、運転などの行動時刻を逐一記録せよと、そして、胸痛、動悸、息切れ、めまい、倦怠感の症状があれば記帳せよとの行動記録カードを傍らに置いて記録していると、毎日無意識に過ごしている限られた人生の時間の一刻の重さを噛みしめさせられる。
「病気と寿命は別のもの。病がいつ死につながるかは寿命に任せ、病を一つの試練と観じ味わい、大事に大切に養いたい。」
経営の神様といわれた松下幸之助(1894−1989)の言葉がある。長寿を全うした達観の人の言辞が重たく迫ってくる。
そよ風に頬を打たれながら、鼓動を記録されながら、病気と寿命とは別物だっせ、との松下幸之助のあの大阪弁のひびきが懐かしい。
「生ぜしおりも一人きたりき、去りてゆかんおりも、又しかなり。あいあう者はかならずわかれ、生ずる者は、死(しに)かならずいたる」
後深草院二条の
『とはずかたり』の一節に行く春を重ねて惜しんでいるところである。
―今日のわが愛誦短歌
・
河豚くうていのち死なまし海棠(かいどう)に
春うつくしく雨のふる日や 太田水穂
―今日のわが駄句
・掌(て)を合わす木々の芽立ちの愛しさよ
芽ぶかんとするしづけさの枝のさき 長谷川素逝

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